猛暑の中、わが家の古文書を整理していたら、亡母の110年前、修行した裁縫伝習所の証書が出てきた。古めかしい表現だが、お裁縫塾の卒業免状だ。母は明治26年生まれで、修行証書は42年とあるから16歳の時のものだ。
母親は東京府荏原郡大崎町(現在東五反田)の旧家の生まれだが地元の小学校を卒業した後、隣町の戸越にあった、この伝習所に通った。戸越は16世紀の古い文書にも登場する地名で”江戸に入る”という意味から、江戸時代までは”とごえ(江戸越え)”と呼ばれていたそうだ。
母が生れた大崎町が急速に発展したのは、(鉄道)省線の山手線五反田駅が明治44年に開業してからで、母が徒歩で裁縫伝習所に通っていた頃は五反田より戸越のほうが賑やかだったようだ。当時母が撮った写真館の写真は芝.二本榎とある。戦後の改名でくなってしまった地名の一つだが、やはり、地名は歴史を語るもの。戦後の東京の街の改名は愚策であった。