ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

【教育界の光と影】朝鮮学校無償化と育鵬社教科書の採択増加[桜H23/9/2]

2011年09月03日 | お知らせ
【教育界の光と影】朝鮮学校無償化と育鵬社教科書の採択増加[桜H23/9/2]


今こそ正しい歴史教育をしなければなりません。
自虐史観や捏造の歴史教科書はいりません。

日本の教育界は毅然とした態度を示さねばなりません。

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父は無事でした。台風の中を病院から帰宅しました。

2011年09月03日 | 生活・介護

フロアーに倒れたまま、「背中が痛い」と少しの動きもさせない父を、私は全く動かせず、ついに119番した。
「台風なんですけれど、お願いできるのでしょうか」とおそるおそる伺うと、父の状態をきいてくださった。「今から行くので外へ出て手を振って合図してほしい、S病院にはそちらで連絡していて下さい」ということだったので、すぐにS病院に電話、むこうの医師の承諾も得た。

こうして父は救急隊員が家にきても、必死に抵抗、4人がかりで救急車に運んだ。
「認知症ですので申し訳ございません」と私は謝り続けた。
そしてS病院に着くと、守衛さんや看護師さんが迎えてくださり、治療室に寝かせる。
医師がこられ、すぐにレントゲンをとり、「何もありませんよ、安心してください、今から帰ったら?台風がひどくなりますよ」・・・でも父をひとりでこの台風の中、タクシーに乗せることはできない。
荷物もあり、また酸素吸入のボンベも持っているのだ。

ケアマネージャーに電話し、いつもお世話になっているヘルパーさんに迎えに来て頂くことになった。
「お休みの日なのに申し訳ありません」・・・でも、こんな日に嫌な顔ひとつせず笑顔で来て下さった。
ありがたいことである。
外は雨、パジャマ姿の父をタクシーに乗せ、帰宅し、手洗い・うがいをさせ、ベッドに寝かした。
台風だからタクシーをお使い下さい、とお願いしても遠慮なさって大雨の中をお帰りになったヘルパーさん。
父は疲れたのかスヤスヤ寝てしまった。

私も疲労困憊で、そのままフロアーに寝てしまった。
父は医師に「何もありませんよ」と言われてから、急に元気になり、さっきまで歩いていた。

今回のことは「台風が予告されている時は、医療機関に行きにくい、また帰りにくい。父をしっかり見護るように」という教訓になった。もちろん徹夜しなくてはならない。
現実は厳しいのだ。介護は大変である。でも無事だったことは本当にうれしい!

コメント (12)
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こんな大きな台風の夜に。

2011年09月03日 | 生活・介護

以前ご心配をおかけし、入院までした父は大変元気になり、医者も驚くほどの回復だった。
一昨日など父が眠っているのを見て、ゴミ収集日なのでゴミ捨てに行っていそいで帰ると、ベッドに起きあがっていた。
そこでトイレに行かせ、おむつ交換したらビッショリだったので、それを近所のゴミ収集所に持って行き、すぐに折り返し帰ると玄関のドアが開かない。
父が鍵をかけたのだと思って、声をかけると鍵を開けてくれた。
こんな時、父が転倒していたらどうするのかと思うと冷や汗だった。

それにしても父は一日中、家の中をいそいそと歩く。
大きなビーチボールは100回以上、キャッチボールでき、鋭い投げ方をしてボールが真正面に、毎回同じ場所にくるように投げている。
食欲もあり、私としては「ここまでできたんだ」と誇らしく思った。

父の入浴は台風がくるということで、いつもより早くさせた。
そして夕食を作る時、ふと見たら父がいない、廊下へ出て外へ行こうとしているのを何度も止めるほどだった。

台風がくるので、家事も手早く済ませ、父を寝かせたがおめめパッチリ、全く寝ない。
やっと寝かせて、私はバスルームに行き、出てきたら父がフロアーに倒れていた。
タオルケットを持っていたので、手すりを持てなかったようだ。
以前はうちわを手放さず、ベッドへ行こうとして倒れかかったのを私は片腕だけで支え、数日痛かった。
だからタオルケットを持ったらいけない、と一日中注意したが意地になって握って放さない。
そのタオルケットを持って倒れていたのだ。

とても起こせない。フロアーにそのまま寝かせ、枕を頭の下にいれて上からタオルケットをかけた。
血圧を測定したが異常はない。
よくしゃべる。足は片方ずつ上にあげたりする。
頭を打ったのではないか、と一番怖い心配をしたが、よくしゃべるし、指を一本ずつ折り曲げることもできる。
父は認知症で説明ができないので、私が推し量るしかない。

ベッドへ運ぶ力は私にはない。背中が痛いという。
フロアーに寝ていたら(私は毎夜、父のベッドの近くのフロアーに寝ている。背中が痛くなるが夏はひやっとして気持ちがいいのでそうしてきた)背中が痛くなる。特に父はふかふかのベッドに寝ているので特に痛いだろうと思う。

骨折はしていないようだ。ずっとしゃべるしよく笑う。足も片方ずつ高くあげて遊んでいる。
今までも転倒して背中を打ったことがある。
コルセットと膏薬を貼って1カ月で治る、と外科医から言われ、その通り、一か月で治ってきた。

でも、娘としては心配でたまらない。
台風なので救急車も来れないだろう、それに外は暴風と大雨である。

私は入浴を夜中まで待ち、やっと入浴できたのだ。
毎日こうである。
父が眠ってしまうまで、傍にいなければならない。
照明を消すと父はよく眠る・・・しかし、今夜は違った!

これからはヘルパーさんが来られる時間に私の入浴は済ませようと思う。
今までは食材や薬局へ行っておむつを買ったり、時には書店で本も買った。急いで帰ると、もう時間だった。

ヘルパーさんに父の見護りをお願いして、来て頂いている時間を有効に父から離れて用事を済ませた。
これから、父の眠っている時間に、というのは無理だ。
いつ目が覚めて行動を起こすかわからない。
ヘルパーさんの来られている時間しかバスタイムはない。
父はいつでもバスタイムができるのだけど。

それに・・・S病院の救急は台風が通り過ぎてから。
私は「台風だから、ずっと父の傍にいるべきだった」と後悔した。
救急車がこない、暴風域である、ということをもっと厳しくとらえるべきであった。

こうしてブログを書いているのは、父のすぐ傍である。
「施設へ入れたら?」と人は私の窮状を知って言うが、それはできない。
きっと私を探すだろう。
それに私は父をいつも大切にしていて、何事も即対応できるようにしている。
父はいつも幼児のように、私を探す・・・。

父がしっかりしていたころは、音楽に興味のない父は私を家政婦のように思っていて、私は音楽に専念したいのにと、よく口げんかしたものだった。それに私は母親の世話も引き受けていた。(今は亡き母親のことは今まで書いてきた)

父とべったりの親子関係ではなかった。 今は父に「私がいないとダメ」となっている。
このとんでもないほどの大変さが、「もうイヤだ」ということにはならない、むしろいろんな工夫をこらして面倒をみることに
自信が出てきた。

しかし、これは私の不注意というか・・・限界とでもいうか・・・治ったら、いろいろ工夫を考えている。
こうして台風の夜は過ぎて行く。今回のことを新たな反省にして、台風が収まったらS病院に連れて行かねばならない。
父は「お~い!」と気楽なものだ。
そして介護する私はいつのまにか、肝がすわるようになってしまった・・・。
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ドジョウ総理のうた

2011年09月03日 | お知らせ
ドジョウ総理のうた


ぴったりの歌、みつけました。
よくできた歌詞です。



9月2日のアクセス数 閲覧数:5,502PV
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