「説明しろって言ってんだよ!」鉢呂経産相辞任会見 2011/9/10
鉢呂経産大臣の辞任会見で、チンピラ記者のひどい追及があった。
辞任会見である、それなりの礼儀を心得て質問するべきと思う。
記者はいったい何様なんだ、庶民を代表して?言っているつもりなどと言わないでほしい。
これでは会見を聞くほうが嫌な気分になる。
このヤクザ記者に注意したのがフリーの田中記者、よく言ってくれたと思う。
実は、ブログでもそうだ。
自分はとんでもないほどの「高み」にいて、狙う相手を最低限の人権も考えないほどの無礼で卑劣な言葉で罵倒する。
そして、たしなめるコメントがあれば反応しない。
また、たった一度たしなめた者の今までのコメントをほとんど削除し回っている。
驚くべき姑息さであり小心者だ。
宮城県知事の村井氏をその卑劣極まりない表現で、貶めたそのブログについてはよほどコメントを入れようと思ったが、多分、削除し回り、あるいは待ち受けて消してしまうだろう。よってここに書く。
村井知事を責め立てることが、その人のプライドを満足させるのかも知れないが、その書き方には、この鉢呂辞任会見でえらそうに、一方的にがなりたてる記者とよく似たイカガワシサが感じられる。
全部は書かないが、「国におねだりするしか能がないのか」「物乞いみたいなこと言って恥を知れ!」これだけでも驚くほどのひどさである。
村井知事は、懸命にがんばる県民になんとか政府の積極的な援助をお願いしたい、そのためには「増税」でもと言った。
大震災からもう半年もたつのだ。最初からそう言ったのではない。
また宮城県が国に半年たって、何とか要望するのも当然であり、その財源は「増税」であろうとなかろうと、国がとっくに考えなければならないことだ。
それを「物乞い」と罵倒するようになると、かつて中国で各地方の責任者が、毛沢東に「私の地方は豊作です」とやせ我慢を言って、中国全体で大量の飢死を出した悲惨な結果を思う。
あまりにも狭量であり、「何を言っても許される」と、今流行の言葉でいえば「どや顔」
で、得意げに書いているのにあきれはてる。知性など微塵もないではないか。
困窮する者をドブに落として叩く、どこかの国のやりかたと根源は同じだ。
窮乏はすぐにも政府に訴える必要がある。なにをおいても県民のためだ。
けなげに頑張っている県民のため、国に訴えるのは当然ではないか。
今まで何もしてきていない政府は責任がある。
ましてや松本のような大臣が知事を脅したのだ。
宮城県が訴えるのは、先の見えない政府への不安がある。
また知事は県民に対して責任がある。
この書き手の高慢さ、冷たさ、傲慢さに、小心者にありがちな「不遜」が加わって、嫌悪でいっぱいになる。
松本元復興大臣が「しっかりやれ」と暴言を吐いたのと何も変わらない。
本人はそこまで考えていないだろう、もともと深く考えず、何か気がきいたことでも書こう、正義感だと勘違いしているのに違いない。
しかし、他にも「若造が!」「能なしが」「どうしょうもない阿呆だな」と、あの記者と寸分変わらない駄文を読むと、何かキタナイものを読んだような気がする。
アクセスが上位でもその内容に読者が同調したのではない。あきれてアクセスする人もいるのだ。
これは憂国でも正義感でもない。ましてや保守でもない。
考えの浅い、勝手に正義感ぶっている「説教調のサル芝居」である。
どちらも最低であり、おおいなる「勘違い」の悲劇である。
鉢呂経産大臣の辞任会見で、チンピラ記者のひどい追及があった。
辞任会見である、それなりの礼儀を心得て質問するべきと思う。
記者はいったい何様なんだ、庶民を代表して?言っているつもりなどと言わないでほしい。
これでは会見を聞くほうが嫌な気分になる。
このヤクザ記者に注意したのがフリーの田中記者、よく言ってくれたと思う。
実は、ブログでもそうだ。
自分はとんでもないほどの「高み」にいて、狙う相手を最低限の人権も考えないほどの無礼で卑劣な言葉で罵倒する。
そして、たしなめるコメントがあれば反応しない。
また、たった一度たしなめた者の今までのコメントをほとんど削除し回っている。
驚くべき姑息さであり小心者だ。
宮城県知事の村井氏をその卑劣極まりない表現で、貶めたそのブログについてはよほどコメントを入れようと思ったが、多分、削除し回り、あるいは待ち受けて消してしまうだろう。よってここに書く。
村井知事を責め立てることが、その人のプライドを満足させるのかも知れないが、その書き方には、この鉢呂辞任会見でえらそうに、一方的にがなりたてる記者とよく似たイカガワシサが感じられる。
全部は書かないが、「国におねだりするしか能がないのか」「物乞いみたいなこと言って恥を知れ!」これだけでも驚くほどのひどさである。
村井知事は、懸命にがんばる県民になんとか政府の積極的な援助をお願いしたい、そのためには「増税」でもと言った。
大震災からもう半年もたつのだ。最初からそう言ったのではない。
また宮城県が国に半年たって、何とか要望するのも当然であり、その財源は「増税」であろうとなかろうと、国がとっくに考えなければならないことだ。
それを「物乞い」と罵倒するようになると、かつて中国で各地方の責任者が、毛沢東に「私の地方は豊作です」とやせ我慢を言って、中国全体で大量の飢死を出した悲惨な結果を思う。
あまりにも狭量であり、「何を言っても許される」と、今流行の言葉でいえば「どや顔」
で、得意げに書いているのにあきれはてる。知性など微塵もないではないか。
困窮する者をドブに落として叩く、どこかの国のやりかたと根源は同じだ。
窮乏はすぐにも政府に訴える必要がある。なにをおいても県民のためだ。
けなげに頑張っている県民のため、国に訴えるのは当然ではないか。
今まで何もしてきていない政府は責任がある。
ましてや松本のような大臣が知事を脅したのだ。
宮城県が訴えるのは、先の見えない政府への不安がある。
また知事は県民に対して責任がある。
この書き手の高慢さ、冷たさ、傲慢さに、小心者にありがちな「不遜」が加わって、嫌悪でいっぱいになる。
松本元復興大臣が「しっかりやれ」と暴言を吐いたのと何も変わらない。
本人はそこまで考えていないだろう、もともと深く考えず、何か気がきいたことでも書こう、正義感だと勘違いしているのに違いない。
しかし、他にも「若造が!」「能なしが」「どうしょうもない阿呆だな」と、あの記者と寸分変わらない駄文を読むと、何かキタナイものを読んだような気がする。
アクセスが上位でもその内容に読者が同調したのではない。あきれてアクセスする人もいるのだ。
これは憂国でも正義感でもない。ましてや保守でもない。
考えの浅い、勝手に正義感ぶっている「説教調のサル芝居」である。
どちらも最低であり、おおいなる「勘違い」の悲劇である。