ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

鉢呂経産相辞任会見での暴言記者と説教調のブロガーの許し難い暴言の共通点

2011年09月11日 | 事件
「説明しろって言ってんだよ!」鉢呂経産相辞任会見 2011/9/10


鉢呂経産大臣の辞任会見で、チンピラ記者のひどい追及があった。
辞任会見である、それなりの礼儀を心得て質問するべきと思う。
記者はいったい何様なんだ、庶民を代表して?言っているつもりなどと言わないでほしい。
これでは会見を聞くほうが嫌な気分になる。
このヤクザ記者に注意したのがフリーの田中記者、よく言ってくれたと思う。

実は、ブログでもそうだ。
自分はとんでもないほどの「高み」にいて、狙う相手を最低限の人権も考えないほどの無礼で卑劣な言葉で罵倒する。
そして、たしなめるコメントがあれば反応しない。
また、たった一度たしなめた者の今までのコメントをほとんど削除し回っている。
驚くべき姑息さであり小心者だ。

宮城県知事の村井氏をその卑劣極まりない表現で、貶めたそのブログについてはよほどコメントを入れようと思ったが、多分、削除し回り、あるいは待ち受けて消してしまうだろう。よってここに書く。

村井知事を責め立てることが、その人のプライドを満足させるのかも知れないが、その書き方には、この鉢呂辞任会見でえらそうに、一方的にがなりたてる記者とよく似たイカガワシサが感じられる。

全部は書かないが、「国におねだりするしか能がないのか」「物乞いみたいなこと言って恥を知れ!」これだけでも驚くほどのひどさである。

村井知事は、懸命にがんばる県民になんとか政府の積極的な援助をお願いしたい、そのためには「増税」でもと言った。

大震災からもう半年もたつのだ。最初からそう言ったのではない。
また宮城県が国に半年たって、何とか要望するのも当然であり、その財源は「増税」であろうとなかろうと、国がとっくに考えなければならないことだ。

それを「物乞い」と罵倒するようになると、かつて中国で各地方の責任者が、毛沢東に「私の地方は豊作です」とやせ我慢を言って、中国全体で大量の飢死を出した悲惨な結果を思う。
あまりにも狭量であり、「何を言っても許される」と、今流行の言葉でいえば「どや顔」
で、得意げに書いているのにあきれはてる。知性など微塵もないではないか。
困窮する者をドブに落として叩く、どこかの国のやりかたと根源は同じだ。

窮乏はすぐにも政府に訴える必要がある。なにをおいても県民のためだ。
けなげに頑張っている県民のため、国に訴えるのは当然ではないか。
今まで何もしてきていない政府は責任がある。
ましてや松本のような大臣が知事を脅したのだ。
宮城県が訴えるのは、先の見えない政府への不安がある。
また知事は県民に対して責任がある。

この書き手の高慢さ、冷たさ、傲慢さに、小心者にありがちな「不遜」が加わって、嫌悪でいっぱいになる。

松本元復興大臣が「しっかりやれ」と暴言を吐いたのと何も変わらない。
本人はそこまで考えていないだろう、もともと深く考えず、何か気がきいたことでも書こう、正義感だと勘違いしているのに違いない。

しかし、他にも「若造が!」「能なしが」「どうしょうもない阿呆だな」と、あの記者と寸分変わらない駄文を読むと、何かキタナイものを読んだような気がする。
アクセスが上位でもその内容に読者が同調したのではない。あきれてアクセスする人もいるのだ。

これは憂国でも正義感でもない。ましてや保守でもない。
考えの浅い、勝手に正義感ぶっている「説教調のサル芝居」である。

どちらも最低であり、おおいなる「勘違い」の悲劇である。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史雑感

2011年09月11日 | 政治

昨日のエントリーで日韓併合のことを私は次のように書いていました。

>日本は朝鮮半島を併合しなきゃよかったと思うのです。
そしてソ連のものになっていれば、どうなっていたか・・・。

このことについて、Mr.Xさまからお返事頂きました。

これには私も同意です。

歴史に「たられば」は意味のない物ですが、朝鮮半島を放棄する代わりにカラフトなどの領有権と
平和条約と軍事同盟を結んでおけば、南西から来る欧米列強にも対抗できたし、
中国(満州)の領有をめぐってもソ連の援軍などが期待できた。

そして、ゾウの群れ(アメリカ)に戦争を仕掛ける必要もオオカミの群れ(日本)にはなかった・・・
たとえ、満州をめぐる争いで敗れても北の領土は確保できるし、
軍備もそこまで消耗しないので、信用がないとはいえソ連には攻められる可能性は低く
大東亜戦争の屈辱の敗戦を避け、欧米諸国と平和(停戦)条約を結べたはず。

まぁ、過ぎたことですしいまさらどうこういってもねぇw


エッ、いいことばかりではありませんか。
こんなに日本は自虐史観を押し付けられて泣くこともなかった。
時計の針を戻したい。
確かに「歴史には≪たら、れば≫は、ないのですが・・・

日本もこの位置にいることが、大変な脅威です。
フジテレビの確信的な「反日行為」に、国内からくずされようとしていることが、ハッキリしました。
たかがテレビ局、ではありません。
国民が怒るのも当然です。

長い時間を経て、音もなくそっと、段階をふんでこのような「敵意ある」状況をつくらせてしまったのです。
そして昨年の尖閣問題の判断を民主党政府が完全に誤り、逆に国士の一色氏を責め立てることが、中韓にとって、また
ロシアにとって「日本はこんな国」と、タカをくくってやりたい放題になっているのです。

今日は9・11、あのアメリカ同時テロの日です。
自民党幹事長、石原氏の軽い発言はどうかと思います。
確かに、十字軍の時から、キリスト教とイスラムの戦いは、歴史に刻まれ、今もなお続いているのですが、
この時に言うべき言葉ではありません。
静かに祈る日であり、どちらかの「勝利」と誤解を生む可能性のある発言は控えねばなりません。

何の罪もない人々を巻きこみ、殺害する非情なテロは、どこであれ許し難いものです。
残念でなりません。
どうしても言わねばならぬ「必然性」があったとは思えません。
「真意はこうだった」といくら後で言っても、言い訳になります。

政治家は言葉を選んで話す、「政治的発言」になってしまうからです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

指揮者ムーティ、ヴェルディ「ナブッコ」より≪行け、わが思いは黄金の翼に乗りて≫アンコール!

2011年09月11日 | オペラ
Riccardo Muti fa cantare "Va pensiero" a Roma.mpg


イタリア統一150年記念公演として、ヴェルディ「ナブッコ」が上演された。

リッカルド・ムーティ、祖国イタリアへの愛をこめて、ヴェルディ「ナブッコ」から≪行け、わが思いは黄金の翼に乗りて≫をアンコール。
その前に客席に感謝をこめてメッセージし、祖国への愛を語り、舞台とともに客席も共にこの曲を歌うように誘う。
万感の思いで祖国イタリアの魂、ヴェルディの名曲を歌う人々、バビロン幽閉の苦しいおもいを歌うこの曲は、外国に侵略されていた都市国家のイタリアが祖国統一運動で愛されよく歌われた曲だった。

パートリア(祖国)という言葉が美しく歌われ、感動の涙を誘う。
O mia patria, si bella e perduta.

何とうらやましい・・・今の日本にとって、うらやましい限りである。
国士ムーティ、素晴らしい!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴェルディ「ナブッコ」第一幕 アッシリアの覇王、ナブッコがエルサレムを制圧

2011年09月11日 | オペラ
Nabucco: Part 5 (Muti, Dimitrova, Bruson)
・・・・・字幕は英語ですが歌唱はイタリア語。

バビロニアの王、ナブッコは鞍もつけずに荒れ馬に乗り、各地を占領し恐れられた。
そしてエルサレムにも侵略し「神が何だ!」というのが第一声である。
このオペラは歴史劇であり、主役のナブッコは実在の王である。
ではこのオペラ全体のストーリーをどうぞ。

時は紀元前6世紀
 
バビロニア王ナブッコ(Br)・・・バビロニア王
アビガイッレ(S)・・・ナブッコの娘だが奴隷との間の子、女戦士である。
 
フェネーナ(Ms)・・・ナブッコの娘で正妻の子
イズマエーレ(T)・・・ユダヤ王の甥、フェネーナを愛している。
ザッカーリア(Bs)・・・ユダヤ教の大司祭
 
※ストーリーは旧約聖書にそった歴史物で、ユダ王国を征服したネブガドネザル2世(オペラではナブッコ)が、約5万人をバビロンに強制移住させた「バビロンの捕囚」を題材としています。


≪オペラ「ナブッコ」全体のあらすじ≫

おびえるイエルサレムの人々、ナブッコの娘フェネーナが人質になっているが、ユダヤ王の甥、イズマエーレが彼女を助ける。
ナブッコにはもうひとりの娘、アビガイッレがいて、彼女は勇ましい女戦士だが、イズマエーレに片思いしている。
しかしイズマエーレはフェネーナを愛していて「あなたには命を捧げても心は捧げない」と言う。
やがてナブッコはエルサレムに火を放ち、徹底的に破壊する。(この動画の場面)

心が傷ついたアビガイッレ、彼女はやがて自分の父であるナブッコを幽閉し、自分がバビロニアの女王となるのだが・・・。アビガイッレは奴隷の子だった秘密を知ってしまい父を憎むようになっていた。

情け容赦もない覇王ナブッコの油断もあり、娘アビガイッレに幽閉され、アビガイッレはエルサレムの人々をバビロニアに幽閉し、恐怖政治を行う。
やがて民衆がナブッコを支持、彼は暴君だったことを反省、バビロンの捕囚を開放し、「王の中の王」と讃えられる存在に変わっていく。

これは実際に存在した「歴史劇」であり、バビロン民衆幽閉の物語は事実である。

ミラノ・スカラのこの公演、私も同じメンバーで聴いたけれど、ナブッコがカップッチッリだったら、と思った。
幽閉から解かれ「王の中の王」となるところなど、カップッチッリが歌うと司馬遷「史記」を思うのだ。(昨年年末に動画をアップしている)

このオペラはソプラノはもちろん、各登場人物のレヴェルが揃わないと「声の饗宴」にならないし、オーケストラ・合唱ともスカラの伝統的な演奏、そして絶大なスケールを要求するものである。

日本の若手バリトン、Kenさまの声と技量でぜひ、ナブッコを聴きたいものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする