あの「うつみ宮土理」がテレビで『菅さん菅さんって批判するんだったら、被災地へ行って働け』という意味のことを言って、大変な顰蹙をかっていたのを思い出す。
そして先日めでたく「退院」した松本元復興大臣、宮城県知事に「知恵を出せ、しっかりやれ」など上から目線で言いたい放題、自分はお客だから先に迎えないか、マスコミに「これを書いたらその社は終わり、これオフレコね」・・・これも仰天。
そして「神戸市民は阿呆」など『氏名から名前へ』の件で、わけのわからぬ暴言の呆ブログ、汚く罵ると政治に肩入れしたように勘違いしている。
共通するのは「自分は手を汚さず、高みから見物がてら悪態をつく」こと、しかも「正義」という仮面をかぶって!!
また、見識のない「八つ当たりコメント」もある。
脱原発を影であやつるとんでもない連中のことを批判したらヒステリー調で「福島原発で働け、だったら言うな!」という女性のコメントを他で見た。
「被災地で働け」「福島原発で働け」・・・これって、どういうつもりで書いているのだろう。
被災地や福島原発で働くことを「懲罰」のように扱うのは無礼千万で卑怯、軽蔑してしまう。
阪神大震災の時、ボランティアで遠くから来て下さった方々にお世話になった。
心からお礼を言った。
入浴がずっとできない日々が続いた時、学校のグラウンドにテントを張り、どこから調達したのか古い浴槽を並べ、大量のお湯を沸かして被災民を入浴させて下さった。
みんなが「ありがとうございます」と頭を下げながら、暖まって帰っていった。
今でもそのころをハッキリ思いだす。
でも・・・「被災地で働いて来い!」なんて、・・・そう考えるといたたまれなくなる。
善意の方々の行為をどう考えているのか!
コメントの道具に平気で「被災地へ行って働け」「福島原発に行って働け」という許し難い発想で書くのは、心の中真っ暗闇なんでしょうね。
そんなこと書く人はだいたい「何もしない」人が多い。
うつみみどりは、あの件からすぐ「韓国」にショッピングに出掛けた。
松本元大臣はながらくご入院、しばらくは政治からはなれて療養するという。
潔癖とは決して言い難いふたりの有名人だが、被災地や原発には程遠いところにいる。
それならば、それなりの謙虚な姿勢があるはずだが。
そんなものなのか・・・。
被災地や原発で心を痛める人たちは決してそんな言い方はできない。
私が老親をかかえて近くの高校に避難していた時、「りんごを配布します」という<さきがけ>という政党が来た。
「ひとり一個です」・・・配りながらイライラしてきたのか「私らはまだ貰ってないよ、さあ、並んで並んで!」と言うではないか。(地元の人ではない・・・長いこと瓦礫の道を輸送して下さったのだろうけれど)
みんな一列に寒空に並んでいる。誰も列を乱す者はいない。
りんご一個の為になんという屈辱、みんな口をきっと結んで耐えていた。そのりんごを食べるのは並んでいる人ではないのだろう。貴重な食料だった。
前日、家族を失った人たちもいっぱいいたのだ。放心状態だった。
「子どもの為に」「年寄りのために」と、並んだ人たち・・・投げ返したいけれど、・・・でも忘れない、今でもくやしくて当時の情けなさを語る。
「私たちは物乞いではない」・・・。
有名人であれ、ブロガーであれ、一番卑怯な手はつかわないでほしい、そうお願いするだけである。