ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

P@RAGAZZO様の「Pの視点」から~<妄言はどちらかね?>より

2011年09月15日 | お知らせ

これは2009年のものだけれど、今読んでも新鮮なエッセイ、そして論客やまびこ様との対話が興味深い。


何が「石原氏がまた妄言」だよ。


韓国メディアは文字が読めないのか?

『欧州の植民地統治に比べ、日本の統治は公平で優しかった』

と言ったのは石原ではなく

朴正熙ではないか。

書くなら『朴正熙がまた妄言』と書かんかい。


しかも『妄言』でもなんでも無いではないか。

「欧米の植民地政策が日本の統治より素晴らしかった」

と韓国が言うのであれば

その例を列挙してみよ。


大体

評論家・作家の金完燮や、拓殖大学教授の呉善花、

ソウル大学教授の李栄薫、加耶大学客員教授の崔基鎬など

韓国人自身が

『日本のおかげで今の韓国がある』

と語ったり著したりしているではないか。


また、

ハーバード大学の朝鮮史教授カーター・J・エッカートは

韓国の言い分は

「論理ではなく日本を弾劾することが目的のもの」

と述べている。



妄言はどちらかね?


もうそろそろ、コリアンは

歴史を正視してはどうか?



テ・ジョヨン(大祚榮) (やまびこ)
2009-04-18 11:49:41
Pさん、おはようございます。

>>もうそろそろ、コリアンは歴史を正視してはどうか?

まったくそのとおりです!
私は韓国人(朝鮮人)に対して、格別に偏見は無いつもりですし、ことさらの蔑視もしていないつもりです。
たぶん大方の日本人、とりわけ若い人たちは特にそうでしょう。
それなのに、彼らの日本憎しの感情は異常なレベルといわざるを得ません。
もとより、過去の歴史では、ほかならぬ日本が朝鮮を併合していたのですから、怒りの感情があったとしても不自然ではないでしょう。
だが、歴史とは残酷なもので、弱い者が強い者に飲み込まれ、服従させられるというのはまったく珍しくないのです。
人類の歴史は戦争の歴史であるとともに、支配と服従の歴史でもあるといえます。
もちろん、これからの歴史ではなるべくそういうことが起こらないようにしたいものだとは思いつつ・・・。
朝鮮半島こそ、支配と服従、そしてつかの間の独立を繰り返してきているでは無いですか。
長い歴史で、いったい誰が一番過酷な侵略と支配を強いてきたのか。
ちなみに、半島国家では国王といえども自分の後継者を勝手に決めることは許されず、必ず大陸の皇帝の勅許を得なければならなかったではないですか。
属国ゆえに、王といえども陛下という尊称は使わせてもらえず、殿下としか称されなかったではないですか。
いうまでも無く中国ではないですか。
日本は振り返ればほんの一時、それも兵馬で踏みにじらないで、曲がりなりにも両国の合意という形を整えてです。

私は、石原氏のように一定の立場がある人が、ことあるごとにこのような発言を繰り返すことには若干違和感を覚えるが、他方、発言の正否だけを言うのであれば、何一つ間違っていない。
然るに、例の従軍慰安婦問題などを含め、韓国の反応は世界に照らしても異常といわざるを得ない。
語るもおぞましいホロコーストを経験したユダヤ民族は、現在のドイツ国民に対してどのように接していますか?
心の中ではきっと許しがたい感情を抱いているでしょう。
だが、彼らは過去にとらわれるより、明日に向かって自分たちの生存と反映をより大事に考えるから、非常に常識的な対応を心がけているように見えます。

韓国人も、早くそのことに気づくべきです。
大切なのは過去ばかりでない。現在と未来がもっと大切です。
過去を振り返るなら、なぜ自分たちの民族がそのような憂き目に会わなければならなかったか、真の意味を学ぶことです。

韓国で大変な人気だったという時代ドラマ:テ・ジョヨンを妻の韓流狂いのおかげで見させられました。
最初は仕方なしでしたが、途中から大変調味が沸きました。
唐の侵略で滅ぼされた高句麗王朝を、臥薪嘗胆、勇気を知略、何よりも民を思う真心で、ついに高句麗の後継国家:渤海を建国するという話です。
韓国人もこういう番組をもてはやすところを見ると、力の無い正義は無力ということを知った上で、民族の誇りを取り戻したいという気落ちがあるのだと思います。
(かっての高句麗は今の北朝鮮とほぼ重なるというのはなんとも皮肉ではあるが・・。)
ならば、日本を泡を飛ばしてそしるのではなく、ほかに考え、やるべきことがあるということに気づくべきです。
恨みを何代にもわたって引き継ごうなんて愚の骨頂です。
我等が反発されることに動向ではまったく無く、彼ら自身のために左様祈ります。



国の存続 (P@RAGAZZO)
2009-04-18 13:29:34
こんにちは、やまびこ大兄。

さすがは大兄、その通りです。
私も韓国そのものが嫌いというわけではなく、
特にイミョンバク大統領になってからの韓国には
親しみさえ覚えることがあるほどです。

しかし、歴史問題となるとコリアンは人が変わったようになって
目が吊り上がり全く事実を事実と認知しようとさえしません。

コリアが日韓併合されるまでの歴史には
コリアン自体の問題が(大兄が説明されているように)多くあったのです。

日本がもしあの時代半島を統治していなかったならば、
朝鮮という国は存在しなかったと思います。
統治時代には悪い事もあったでしょう。
しかし、良い所もたくさんあったのです。

コリアンは歴史を正視すべきです。


イフ (やまびこ)
2009-04-18 14:04:34
Pさん、こんにちは。

>>日本がもしあの時代半島を統治していなかったならば、朝鮮という国は存在しなかったと思います。

まったく同感です!
歴史に「もしも」はタブーなんて言われますが、「もしも」をつけて考えると、将来へのヒントが見えて来ることともありますね。

まず第一にロシアに続くソ連の領土と化していたでしょう。
それは永遠に独立できないことを意味します。
次に、朝鮮を足掛かりに満州国を傀儡にした日本の戦略がとん挫せざるを得なかったはずですから、ロシアが悠々と満州に進出して、一気に半島を手にしたでしょう。

満州との絡みでいえば、満州に日本のプレゼンスがなければ毛沢東か蒋介石か、はたまた張作霖・張学良親子が満州を制圧し、その場合も半島はたやすく手に入れていたでしょう。

そうするとどっちに転んでも、朝鮮国家は消滅するしかなかったことになりますね。
それも、絶対に再独立不能の状態で・・・。

>>統治時代には悪い事もあったでしょう。
しかし、良い所もたくさんあったのです。

今の彼らは絶対に認めたくはないのでしょうが、これも事実です。
欧米列強の植民地政策と根本的に異なっています。

彼らが本当に自分たちの未来の栄光を期待したいのであれば、おっしゃる通り、歴史を正視しなければ、何一つ得るものはないでしょう。
「怨」で耐えることはできてでも、それで発展どころか、身の安全すら守れないでしょう。
日本に対する理不尽な論難ばかりが問題ではありません。
彼らは政権が変わるたびに、前政権の不正を暴き牢獄へ送りたがりますが、どうも誰もいぶからない朝鮮王朝時代からの意趣返しの風習のようなもののようです。
こういうところも改めなければいけないだろうと思います。

改めて朝鮮民族のために左様祈ります。



              
                     ベッラあとがき

そういえば、Mr.Xさまも「歴史には、たらればはないけれど」と前置きなさって、こう書かれていた。
それを読めば、日韓併合をしなければ、日本はいいことばかりだったかも、という説だった。

≪歴史に「たられば」は意味のない物ですが、朝鮮半島を放棄する代わりにカラフトなどの領有権と
平和条約と軍事同盟を結んでおけば、南西から来る欧米列強にも対抗できたし、
中国(満州)の領有をめぐってもソ連の援軍などが期待できた。

そして、ゾウの群れ(アメリカ)に戦争を仕掛ける必要もオオカミの群れ(日本)にはなかった・・・
たとえ、満州をめぐる争いで敗れても北の領土は確保できるし、
軍備もそこまで消耗しないので、信用がないとはいえソ連には攻められる可能性は低く
大東亜戦争の屈辱の敗戦を避け、欧米諸国と平和(停戦)条約を結べたはず。≫(拙ブログ9月11日「日本での反韓流について」)

また、Pさまとやまびこさまの対話を読むと、朝鮮の独立は「永遠になかった」ことも真実だと思う。
これを読んで、自虐史観でなく、事実をふまえて歴史を考えることの必要性を感じる。
これらのことは、今の韓国朝鮮人には理解できないだろう、そしてふと気になったことは、金正日がロシアにすり寄り、借金もゼロにしてもらえたと喜んでいるが、この代償は、もしかしたら・・・と思う。
韓国朝鮮は、いつまでも「論理ではなく日本を弾劾することが目的のもの」(ハーバード大学エッカート教授)のようなことをしていれば、国家の展望はないと思う。

もうひとつ、これは私自身が無意識に持っていた感覚だけど、韓国に対して自虐史観で接していたこと、そしてまた「憐れみ」の感情を持っていたこと・・・これも捨て去ることができた。
戦後の間違った歴史観を捨てることができ、そしてこれから正しい凛とした国際理解ができていくように思うこのごろである。
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カップッチッリが歌うヴェルディ「トロヴァトーレ」2重唱、カラヤン指揮

2011年09月15日 | オペラ
Raina Kabaivanska & Piero Cappuccilli - Mira d'accerbi lacrime... Vivr醇A contende il giubilo


カップッチッリの歌う「トロヴァトーレ」、ルーナ伯爵である。あこがれる美女レオノーラは敵であるマンリーコの命乞いに来た。
カバイヴァンスカの歌うレオノーラはヴェルディのこの役を歌うには声の質が軽めだが、東欧のソプラノ独特の強いアタックで劇的な効果を出している。
カバイヴァンスカはブルガリアのソプラノ、理系のインテリらしく話すと理詰めでイタリアのソプラノとは傾向が違うが、歌唱そのものは素晴らしい。

カップッチッリはやはり超一流だ。隙がどこにもない、それでいて余裕が感じられる。
「6年間、発声だけで歌は教えてくれなかった、逃げ出したこともある」と笑いながら厳しかった恩師のレッスンを今となってはありがたい、と語っていた。
「今の歌手はここまで下積みをしないから、すぐに声がダメになる」と。
世界最高峰になっても、発声の練習は欠かさない。
テバルディなどは朝の6時から発声練習をはじめる、という。
カップッチッリも、練習だけは負けずにやってきた、と振り返っていた。

カラヤンの指揮は歌手が歌いやすいといわれているが、オーケストラの効果的な指示と表現は、歌手の声を際立たせ、歌手に大きく任せているので、おもいきって歌えるらしい。



☆政治の記事、ロシアの爆撃機と日本国民有志の抗議文を昨日アップして、精神的にこれ以上、今は書けない、そして音楽に・・・。



☆静止画になってからのバリトンはザンカナーロである。

この動画のコメントに素敵な一言をみつけた。
Grandissimo il Maestro Piero Cappuccilli
(巨匠、カップッチッリ最高に偉大!!)


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