ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

眞子内親王が小室圭氏と結婚へ、そして小室母の新たなスキャンダル「傷病手当詐取」/タリバンは米と通じていた/奥山篤信氏の「東京五輪の感動」その7、白熱のエッセイです。

2021年09月02日 | 政治

眞子さま結婚へ・・・内定から4年 なぜ今?秋篠宮さまは(2021年9月1日)





★ 上記のyoutubeは今の時点ではかなり詳しいが、肝心のところは言えないでいるようだ。
つまり小室圭氏がパラリーガルをしていた「O法律事務所」は政府関係の仕事も引き受け、そして「中国」ともかなり深い関係にある、ということだ。
小室母の疑惑はまだある。軽井沢の知人の喫茶店を手伝っていた時は「適応障害の診断で給食補償」を受給していた時のことだ。二重取りというのはやってはいけないことだったはず。

小室圭さんの母・佳代さん、3年前の適応障害診断と休職補償での生活で不正受給のこと

“義母”の「金銭トラブル」が長らくご結婚のハードルになってきた秋篠宮家長女の眞子さま。婚約内定者の小室圭さんの就職のめどがつき、いよいよ皇籍離脱が目前になったが、すでに“実母”のように慕う小室さんの母・佳代さんの体調に不安があることが判明した。3年ほど前、適応障害の診断を受けたことがあるというのだ。・・・一般的に、従業員が業務外での出来事が原因で病気やけがをした場合、健康保険の制度により、「傷病手当金」が支給されることになる。金額の目安は月給の3分の2で、支給期間は最長で1年6か月。かなり手厚い補償ともいえる。
★ 詳しくは本日発売の「週刊新潮」9月9日号に載っている。

勤め先「長期病欠」でも軽井沢で……
「小室佳代さん」今度は「傷病手当」不正受給


参考動画
【緊急配信】KK母 新たな不正 それでも結婚か⁉️【傷病手当詐取】



 米とタリバンが通じていた・・・やはりクライン孝子女史が解説した通りだった。

タリバンが米国人退避に“協力”空港まで送り届け…

CNNによりますと、複数のアメリカ防衛当局者はアメリカ軍が自国民の退避についてタリバンと交渉をしていたことを明らかにしました。

 交渉の結果、タリバンは、あらかじめ決めた場所にアメリカ人を集めて身元の確認をした後、空港の入口まで送り届けていたということです。

 このほか、防衛当局者は軍の特殊作戦部隊が空港にアメリカ独自の「秘密ゲート」を設置していたことや退避中の人たちに指示を出すための「コールセンター」を構えていたことも明らかにしています。

 今も現地には100人以上のアメリカ人が残っていて、アメリカ政府は出国を希望する場合支援を惜しまないとしています。

 一方、日本政府もトルコに置いていた臨時の大使館事務所をカタールのドーハに移し、引き続き現地に残る大使館スタッフら約500人を支援していく方針です。
タリバンが米国人退避に“協力”空港まで送り届け… (msn.com)


 宮崎正弘氏のメールマガジンはいつも的確。

タリバン連立政権、まもなく閣僚名簿発表し、発足へ

  米国、タジキスタン国境警備強化に協力、インドでは反イスラム運動

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パキスタンのクレシ外相は、「近くタリバン政権が閣僚名簿を発表するだろう」と予測し、アクンザダ師が最高指導者として位置づける筈だと語った。

 米国軍はアフガニスタンを去ったが、アメリカ人は数十から数百人がまだアフガニスタンに滞在しているらしい。
げんにアメリカ人記者はカブールに留まり、状況を映像で伝えている。

 米国が警戒しているのは、置き去りにしてきた最新兵器ならび、アフガニスタン政府軍に梃子入れし供与してきたアメリカ製の武器が、タリバンに渡ったことだ。

 退去前に飛行場倉庫にあったヘリコプターなど多くを破壊してきたが、政府軍の腐敗や局地戦の敗戦で、機関銃から夜間ゴーグル、特殊戦闘服、軍靴に至るまで横取りされた。

その最新鋭の装備で、タリバン特殊部隊が現れた。

インドではイスラムのマイノリティ集落で、ヒンズー教原理主義過激派の襲撃計画があるとされ、極度の緊張状態にある。

またパキスタンでもバロチスタン独立運動の武装集団と政府軍が交戦、11名のテロリストが死んだとパキスタンは発表している(9月1日)。

米国はロシア軍、中国軍が駐在するタジキスタンの国境警備に協力するとしている。

 中国もこの点で警戒を強め、国連軍縮委員会中国代表のリ・ソンは「紛争国には武器供与をしない協定の適用強化」などと演説した(ジュネーブ、8月31日)。盗人猛々しいとはこのことだが。。。。。。

 「米国の撤退はアジア諸国に米国依存リスクをあたえ、中国は台湾侵攻の口実として火遊びをやらかすだろう。
ロシアはウクライナの完全支配をねらって軍事行動をおこすのではないか」とする米国の世論に対して、アダム・スミス米国連邦議会下院軍事委員会委員長は「アフガニスタン撤退後も、軍事バランスは保たれている」と否定した。

 欧米メディアは「タリバン最高指導者のアクンザダ師が、いかなる人物か」の特集を始めている。

 日本はこうした国際情勢にまった無頓着で、二階幹事長が辞めるやめない、管は続投か退陣かなどと、国政政治からみれば、まさに辺疆の田舎芝居を演じている。

    ☆▽□☆◎み☆◎□☆や□▽◎☆ざ▽◎□☆き◎☆◎▽

山尾志保里議員、政治家引退を決めていますが、ギリギリまで働いています。

人権外交超党派議連として政府に対し5項目を緊急要請しました。

①現地協力者・留学経験者を家族含めて救出対象に
②柔軟なビザ発給
③ビザ保持者の陸路・空路での受け入れをパキスタンなどと早急に調整
④安全確保・出国支援について諸外国と連携しタリバンと交渉
⑤救出者の受入体制と生活保障・支援。
それにしても菅総理のメッセージが聞こえてきません。バイデン大統領もジョンソン首相もマクロン大統領も、様々批判に晒されつつ、少なくともリーダーとして自らが発信し国家の意志を示しています。
『日本政府はあらゆる手を尽くして現地協力者への救出活動を継続する』早くこの言葉を聞かせてほしい。




作家・評論家の奥山篤信氏の「東京五輪の感動」その7、白熱のエッセイです。
◎東京五輪の感動7 
日本で初めて女子が金メダルを獲得したベルリン大会:前畑選手の場合 
 

〜戦争時代のベルリン五輪での日本の立場から現代を読み取ろう。〜

前畑秀子(1914-1995 )は 1932年ロサンジェルス大会で200メートルの平泳ぎで堂々銀メダルを獲得した。
金メダルは豪州のクレア・デニスで、前畑とわずか0.1秒、東京市長の永田秀次郎が「なぜ君は金メダルを取れなかったのだ!たった0.1秒差じゃないか?無念でたまらない!」と、当時のまだ個人主義など確立されていない日本では五輪は国家代表だとする偏見に満ちたように、日本の典型的言葉として涙を流したという。
そんな国民的期待に応えて、すでに引退を決めていた前畑は現役続行を決意して、毎日2万メートルを泳ぎ切る猛練習を重ねついに1933年200メートルの世界新記録を更新した。

3年後の1936年(昭和11年)、ドイツで開かれたいわばヒトラーの五輪とも言えるベルリン・オリンピックの200m平泳ぎに出場し、地元ドイツのマルタ・ゲネンゲルとデッドヒートを繰り広げて、1秒差で勝利する。まさに日本人女性として五輪史上初めての金メダルを獲得した。

この試合をラジオ中継で実況したNHKの河西三省アナウンサーは、中継開始予定時刻の午前0時を過ぎたために「スイッチを切らないでください」の言葉から実況放送を始めた。河西は興奮して途中から「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」と20回以上も叫び、真夜中にラジオ中継を聴いていた当時の日本人を熱狂させた。
当時の国民の五輪に賭ける熱狂ぶりとそれに応える河西アナの興奮が露骨に伝わるだ。
これが<前原頑張れ>放送だった。

これこそが五輪を国家の栄誉・名誉と考えた政治的姿の典型である。当時、11月日独防共同盟の直前だったから、ドイツの対日感情は悪くないはずだ、だから僅差の差でもブーイングや敵対感情もなかったと推察される。
そんな金と銀獲得同士が、戦後面会したのは1977年という。

『二人の独女性メダリストの涙 2018年1月』という記事がある元毎日新聞の記者である岸本卓也さんが書いたもので、それを読むと前畑さんが95年に80歳で亡くなったが、岸本氏は前畑さんに決勝で敗れた銀メダリストのマルタ・ゲネンゲルさんにインタビューを行ったという。ゲネンゲルさんは当時84歳でケルン近郊で家族と共に穏やかに暮らしていた。
ライバルの前畑さんに負けたが、77年に二人はベルリンで再会し、50㍍を一緒に泳ぎ、友情を育んだ。
それだけに前畑さんが亡くなったことを告げると、落胆の表情を隠さなかったという。

 戦争の時代を生きたドイツ人にヒトラーやナチスについて意見を求めることは気が引けるが、あえてゲネンゲルさんにヒトラーについての思い出を聞いた。ゲルマン民族が最も優秀な民族であることを五輪で証明したいヒトラーは出場するドイツ選手の壮行会で一人一人に握手して激励したという。

 ゲネンゲルさんは苦しい表情で「壮行会で優しく手を握られた。あのころはひどいことをする人には思えなかった」と語った。そして、涙を浮かべ、「ヒデコ(前畑さん)や私が生きた時代は過ぎ去った」と遠くをながめるようにつぶやいた。その5カ月後に、ゲネンゲルさんも前畑さんを追うように亡くなった。

五輪を二人で戦った、国家の意志は別としても個人同士の友情は、何か敵同士で戦った、お互いその勇気と勝敗にかかわらず健闘を讃えあう、敵味方お互いの奇妙な友情のような、いや奇妙でなく堂々とした尊敬と友情それは国家を超えた人間の絆だったのだろう。五輪の意義は実はそこにあると思うのだ。
さらに前畑さんの生前に残した言葉をここにそのまま転載する。

私の人生のささやかなモットーは、自分で決めたことは真正面からぶつかって行って、納得するまでやり通すことです。

そうしなければ悔いが残るし、なにごとも成功しない。

私はそう思います。わが半生を振り返ってみると、やはりベルリン大会の金メダルが、私の人生のハイライトでした。ですから、苦しいとき、悲しいとき、かならず立ち戻るのは半世紀前のベルリン大会です。

たとえば、主人を突然失い、女手ひとつで子どもを育てなければならなくなったとき、脳溢血で倒れ、苦しいリハビリの壁に直面したとき、私を支えたのはやはり金メダルでした。

「あの栄光をつかむために、秀子おまえはどんな苦しい練習にも耐えてきたじゃないか」こう言いきかせると、再び勇気がわいてきます。

そして、どこからともなく「前畑ガンバレ!」の声が聞こえてきました。

「私には、苦しさや困難を克服するたびに喜んでくれる大勢の人がいる。みなさんに喜んでもらうことこそが私の喜びだ」

私は水泳を通じてそう教えられました。私は多くの人たちの愛に支えられた「前畑秀子の人生」に心から感謝して、今後も精一杯生かさせて頂きたいと思います。 − 兵藤(前畑)秀子 −

前畑秀子さんとドイツ・マルタ・ゲネンゲルさんとの国境を超えた絆と思い出、さらに前畑さんの上記の言葉を見ると、やはり五輪の意義とは近代五輪の原点から何の変化もなく、政治的・宗教的・人種的一切のものから中立的であるべきで、しかも国家間のメダルや名誉の戦いではなく、それぞれ個人の個人主義的なフェアーなスポーツマンシップとしての戦いであり、五輪憲章にあるように:「より速く(Citius)、より高く(Altius)、より強く(Fortius)」五輪精神に基いて研鑽することを呼びかけたものである。

 

日本人女性初金メダリスト前畑秀子の「戦い続けた人生」 (田中 ひかる ...いだてん|マルタ・ゲネンゲル|ライバル前畑秀子とその後再会を果たし ...See the source image


ブログのティールーム

ヴェルディ作曲「シチリアの晩鐘」より~アッリーゴよ、心に語れ
ソプラノはマリア・カラス、歴史的名唱です。
Maria Callas : I Vespri Siciliani Verdi - Arrogi ! Ah, Parli A Un Core - ClassicalExperience



私もこの歌をレパートリーにしていました。その時に必ずマリア・カラスの名唱を聴いていました。
味わい深い曲です。



コメント (2)
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