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小川和久氏「アフガン退避の大醜態を徹底検証する」(特別編)

2021年09月11日 | 政治

恥!アフガン500人置き去り、早逃げ現地大使館、遅い政府の決心

アフガン退避の大醜態を徹底検証する

1,「最悪の事態」に本当に備えていたのか

日本ではことあるごとに「危機管理とは最悪の事態に備えること」と口にされてきた。

本当だろうか。そんな当たり前のことを呪文のように唱え、訳知り顔に自己満足に陥っているから、8月15日に政権が崩壊したアフガニスタンの事態を前に、日本だけが関係者を退避させられないという醜態をさらすことになった。

そのことによって国家としての品格が問われ、国際的な信用を失ったことを忘れてはならない。
言うまでもなく、危機管理が必要になるのは最悪の事態である。そのとき求められるのは、「必要なことを適切なタイミングで実行できること」である。
机上の空論を絵に描いたような「最悪の事態に備える」を口にするレベルを脱し、日本が本当の危機管理を手にするための教訓として今回のアフガン問題を整理しておきたい。

2,関係者を残して大使館員早々に退避

教訓の第1は、タイミングと輸送手段に関する決心の問題である。

5月に米軍のアフガン撤退が8月末と決まったあと、韓国などは6月段階で国民と関係者を出国させ始めた。タリバンがカブールに迫った8月上旬には各国とも動きを開始し、8月28日段階でほぼ撤収を完了した。

各国は、展開していた各国軍隊の通訳など協力者だけでなく、アフガニスタンの国づくりに関わっていた国際機関、NGO(非政府組織)で働いたアフガン人を可能な限り出国させた。

おおまかな数字を挙げれば、米国11万人、カタール4万人以上、アラブ首長国連邦(UAE)3万6500人、英国1万5000人、ドイツ5000人、イタリア5000人、フランス3000人、韓国391人にのぼった。

それが日本はといえば、カブールの日本大使館員12人が17日に英国軍機でアラブ首長国連邦に出国したものの、JICA(国際協力機構)などの日本人6人と関係者・家族合計500人あまりについては放置されたに等しい状態だった。
自民党外交部会などからの厳しい突き上げもあり、政府がC2(1機)とC130(2機)の自衛隊輸送機を出発させたのはようやく23日。26日に米軍に依頼された旧アフガン政府関係者14人、27日に日本人女性1人を隣国パキスタンに出国させるにとどまった。

外交特権に守られている外務省職員の退避は、最後まで船に残るべき船長が「いの一番」に逃げだしたのと同じに見られても仕方がない。

3,「決心」は遅れに遅れた

結論から言えば、首相を頂点とする日本政府が適切に「決心」できていれば、500人ほどの日本関係者ばかりでなく、その他のアフガニスタン人の退避にも手を差し伸べることができただろう。

ここで言う「決心」とは、自衛隊や世界の軍隊の指揮官教育で叩き込まれるもので、敵の大軍が迫ってきているといった目の前の緊急事態に対して、いかに素早く、正面突破、迂回攻撃、退却などを的確に選択し、味方の損害を最小限に抑え込みながら戦うか、という点に主眼がある。
世界のビジネスパーソンの教育でもディシジョン・メイキングとして重視されているものだ。

決心に当たって必要なのは柔軟な発想である。

輸送の問題については、命令が出れば即応できる態勢にある自衛隊機の派遣を前提としながらも、最も手早く実行できたのはチャーター機の投入である。コロナ禍で航空機が余っていることもあり、政府が旅行業務に精通した人物に依頼すれば、それこそ1時間以内に中東の航空会社の旅客機をアフガンに向かわせることができただろう。

今回のケースで言えば、6月段階から関係者退避の行動に移り、遅れた場合でもアフガン政権崩壊の直後にチャーター機を手配できなければならなかった。首相官邸の機能不全と言うほかない。
自衛隊機も、「必要なことを適切なタイミングで行う」ことを前提にすると、アフガン政権が崩壊に至る8月12日のあたりでは現地入りしていなければならなかった。
政府が自衛隊機を出発させたのは10日以上も遅れた23日のことだった。

とにかく、法律的にも派遣できるし、部隊は待機していた。機材も整っていた。
現地も一定の安全確保ができていた。政府を挙げて決心ができなかった結果、タイミングを失してしまったのだ。

4,爆弾テロ前日までに全員退避の韓国が行っていたこと

第2に教訓とすべきは、カブール空港までの交通手段の確保と、その成否を分ける現地情勢の把握の問題である。

自衛隊機が現地入りした段階では、すでに出国希望者がカブール空港に詰めかけて身動きできない状態だった。そこに爆弾テロが発生し、日本人女性が空港まで自力で移動できたのが奇跡と思われるような状況となった。

これでは、いかに自衛隊機が現地入りしていようとも、そして、自衛隊の誘導要員が空港外で活動できるよう法改正が行われていたとしても、それだけでは手の打ちようがなかっただろう。政府の決心の遅れとともに、カブール空港までの移動について手を打っていなかったことは、明らかに日本政府の失態である。

このような日本と対照的だったのは韓国だ。爆弾テロ前日の25日の段階で国民と関係者391人全員を出国させるのに成功している。

韓国政府はアフガン政権崩壊直後に輸送機3機と特殊部隊66人を現地に向かわせ、同時に、現地の大使館員が米軍が押さえていたバス6台に365人を乗せて空港まで運んだ。

そこに自力で空港入りした26人が合流した。米軍のバスはタリバンとの合意で空港との間を移動できることになっており、韓国側は米軍人をバスに同乗させてタリバンの検問所を通過したのである。

これが可能になったのは、韓国大使館が自国民と関係者の現状を把握し、連絡網の構築と避難訓練を怠らず、集合場所なども明確にしていた結果だ。

5,口止め! 日本大使館、緊張感欠如の証言

米軍はバスの利用を各国に呼びかけていたが、日本の場合、米軍と連絡を取るべき大使館員が早々に脱出してしまい、対応する人間がいなかった。

日本政府は、自衛隊機到着時に外務省職員を現地入りさせ、37台のバスに関係者を乗せて空港に向かわせようとしたが、テロ後の混乱も加わって動きがとれなかったと弁明している。

しかし、問われるべきは外交特権で守られているはずの大使館員の国外退避を早々に許した問題である。大使館員が現地にとどまり、少なくとも韓国大使館員と同様に動いていれば、米軍のバスを利用できたのは間違いなかろう。

日本大使館が緊張感を欠いていた様子は、アフガン人現地職員の証言でも明らかとなっている。

「(7月初旬から)最悪の事態が起きる可能性を、幹部を含む外交官に何度も進言しましたが、タリバンがカブールを陥落させることはないと言われました」(2日、テレビ朝日ニュース)

政権崩壊後、この職員は大使館側から判断の誤りについて、特にマスコミに口外しないよう命じられたという。

6,日本の国際的信用に決定的に傷がついた

第3の教訓は、国家の品格が問われ、日本の国益が著しく損なわれたという問題である。

各国が総力を挙げて関係アフガン人の退避を進める中で、在留邦人1人と旧アフガン政権関係者14人の退避しかできず、自国の関係者500人を置き去りにした日本は、国際平和を標榜する国家としての品格が問われることになった。この醜態による国際的信用の失墜が著しく国益を損ねたことは言うまでもない。

国家の品格という点では、とりわけ印象に残ったのはフランスと韓国である。
8月28日、IPC(国際パラリンピック委員会)は陸上競技とテコンドーに男女各1人のアフガン選手が出場することになったと発表した。
この2人は政府崩壊直後にフランスの航空機で出国し、フランスのスポーツ省の保護のもとに出場準備を進め、東京にやってくることになった。

政府が崩壊し、大混乱に陥っているカブールからパラリンピックの選手を出国させ、さらに手厚い支援のもとに出場させるというのは、国家としての文化のレベルの高さと懐の深さがなければできることではない。
韓国の場合は、さらに日本が参考にしなければならない国家的動きを見せた。
嫌韓派といえども認めざるを得ないほどの鮮やかさだった。

韓国政府が退避させたのは在アフガン韓国大使館や韓国政府が運営する病院、職業訓練施設などで勤務していたスタッフとその家族391人。
韓国入りした全員が27日までに新型コロナウイルスの検査を受けた後、政府施設に滞在し、韓国政府は「特別功労者」として当初は短期ビザを発給、さらに就職が可能な長期ビザへの切り替えを可能にする法整備も進める方針だという。

作戦に参加した特殊部隊の隊員は「大韓民国政府に協力し共に働いたアフガンの職員たちとその家族たちを、無事に国内へと移送する任務に参加することができ光栄だ」と述べている。
派遣された自衛官たちにも、このような誇り高いコメントを口にさせてやりたかった。

7,「畳の上の水練」日本の危機管理

第4は、すべての問題について日本の危機管理が形式に流れ、畳の上の水練に終始しているという最も深刻な問題が浮き彫りになった点だ。

とにかく、日本の危機管理は政府、企業を問わず形式に流れてきた。今回と類似のケースで思い出されるのはアラブの春のケースである。

2011年3月、アラブの春に揺れるリビアから中国政府は自国民42600人を10日間で安全地帯に脱出させた。空路や海路だけでなく、大部分の中国人はバス、トラック、乗用車などあらゆる陸上交通手段を使って国境を越えることを最優先させた。韓国も1400人が脱出した。このとき日本政府は23人の在留邦人を脱出させられなかった。

今回のような海外安全問題で言うと、政府、企業、その他の組織ともに緊急事態に退避させるべき人員を常時把握し、連絡体制を構築し、複数の脱出ルートと手段を確保し、実動訓練を重ね、機能するレベルに完成度を高めておかなければならない。緊急連絡があったら1時間以内にアンサーバックするよう業務命令として義務づけておかなければならない。

政府と企業の危機管理に関わった経験から言えば、政府がそのレベルにないことはもとより、日本企業で合格点を与えられるのは数社にとどまっている。
安保法制をはじめとする法制度も、存立危機事態と言った言葉によって戦争が国境線で止まるかのように錯覚しているのと同じように、机上の空論のまま放置されている。

今回の自衛隊機派遣にしても、邦人や外国人の輸送を定めた自衛隊法第84条の4の規定「安全に実施することができる」が前提となったが、政府の判断はカブール空港の大混乱を前に不可能と可能の間を揺れ動いた。

日本以外の先進国では常識になっていることだが、法制度というものは常に図上演習を重ねて検証し、きちんと機能するように完成度を高めておかなければならない。これは国家安全保障局(NSS)の重要な仕事である。そのNSSも機能麻痺に陥っていたようだ。

「首相官邸には、外交・安保の司令塔となる国家安全保障局と、危機管理を担当する内閣官房『事態対処・危機管理担当』(事態室)がある。だが、退避作戦を巡る対応は、ほぼ外務・防衛両省に委ねられていたのが実情のようだ」
(8月31日付読売新聞)

 これはどこかに書きとどめておきたいので「特別編」として、これだけを転載しました。次からは通常のブログに戻ります。(ブログ主)

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