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時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

深田女史「アフガニスタン、邦人救出遅れは憲法改正以前の問題」/亡国の選択、眞子内親王/奥山篤信氏「東京五輪の感動」8、遂に完結

2021年09月03日 | 政治

アフガニスタン、邦人救出遅れは憲法改正以前の問題 深田萌絵女史



アフガンの件はアメリカがグダグダしている。アメリカに情報を依存している日本もグダグダになってしまった。
諜報能力の低下、華僑を使って中国がかなりアメリカの諜報機関に浸透しており、多くの情報がブロックされているのがアメリカの問題。
今まで何が日本国内で起こっているか、中国が日米の諜報にアクセスしょうとしているか、トランプ政権がなぜ「CIA内のモグラ」を問題にしていたのか・・・CIAの中でもかなりの諜報機関が浸透しているのは事実、ダブル・トリプルになりはしないか?向こうに寝返ったように見せて戻ってkる、またはそのまま給料がよいので向こうに居続けるのか。中露は先に情報を得ていたので動揺も何もしなかった。
アメリカの情報に依存している日本も慌てた。
「憲法改正」以前のことだ。政府も現地に行っている日本人から話を聴く必要がある。生で見聞きしているのと日本の新聞に載っている情報となぜこのように違うのか・・・。日本は先にセキュリティクリアランスをものにしないと、日本人で政府に協力している人たちの情報が完全に漏れている。政府内にいる人間がどういう人物か、情報収集を依頼している人物が中国に捕まるのを繰り返しているようではダメだ。
中国のほうが確実に薄汚い部分をカヴァーしている。
憲法改正以前の問題、というのは自衛隊法の第84条の4というところで「外国人の
日本人が外国の内乱に巻き込まれた時、輸送の安全が認められた時だけなのだ。
・・・注 第八十四条の四 防衛大臣は、外務大臣から外国における災害、騒乱その他の緊急事態に際して生命又は身体の保護を要する邦人の輸送の依頼があつた場合において、当該輸送において予想される危険及びこれを避けるための方策について外務大臣と協議し、当該輸送を安全に実施することができると認めるときは、当該邦人の輸送を行うことができる。この場合において、防衛大臣は、外務大臣から当該緊急事態に際して生命若しくは身体の保護を要する外国人として同乗させることを依頼された者、当該外国との連絡調整その他の当該輸送の実施に伴い必要となる措置をとらせるため当該輸送の職務に従事する自衛官に同行させる必要があると認められる者又は当該邦人若しくは当該外国人の家族その他の関係者で当該邦人若しくは当該外国人に早期に面会させ、若しくは同行させることが適当であると認められる者を同乗させることができる。・・・

安全だったら日本人は自分で帰ることができる。

「この国大丈夫か?」いろんなところで足かせのような条文があって、「内乱が起こりそう」となったら自分でさっさと逃げ出さないと実際に助けてくれない、ということになり、おかしな法律は変えていかねばならない。
愛国や精神論だけではできない。
今まで脱法行為を行われていてその「抜け穴」がある限り、被害にあっても警察は何もしてくれない・・・ではどんどんおかしな法律は変えていかねばならない。(走り書き)

 ブログ主・・・そういえば石井望先生もそのようなことを時々いろんな面で主張されていた。「憲法改正」以前にできる問題など。
私が怖いと思うのは無能で自分ファーストの政治家たちが、国民のことを考えず、ただ「改正」いや、「変えたらいいのだろう」という姿勢で、誠意を見せることなく、勉強をすることもなく「改正」を訴えて商売にする・・・そして現行の「抜け穴」をまず防ぐことはしない、結果、「憲法改正ではなく憲法改悪となる」ことだ。
自民党の憲法改正案は中山恭子氏からどこがまずいのか指摘・訂正されたパンフレットを貰っていて、今も大切に保管している。
賢人のいうことをきかず、パフォーマンスにあけくれた政府のトップ達、そしてシンジャ、そして恥ずかしげもなく賢人のSNSを荒らしまくり、文化大革命よろしく、事実上の言論封鎖をその者たちにさせ(騒ぐのが好きな、常識という「基礎学力」に欠如した連中)ついにツイッターやその他を閉じることに追い込まれた政治家もいる。私は庇ったが話がわからない連中が非常に興奮して危険を感じた。そういうのが「ホシュ」と思い込んで無茶をやっているのを利用し操作する「大ホシュ」たち。今もその時の絶望や怒りが甦る。
・・・あの頃の私は熱くて怖いもの知らずでもありそういう連中をおおいに批判し、動いてきた・・・時が過ぎ疲労困憊している。そしてそうした「運動」する人たちの中には魯迅の阿Qのごとく、わけのわからないまま付和雷同している連中がかなりいる、暴れたい騒ぎたいだけの連中が・・・決して長続きはしないが・・・。これは正しい政治活動でも何でもない。ところが今は自民党の岸田氏が「モリカケその他、十分に説明するように」と前政権に言っている。
流れが少し変わってきた・・・岸田氏は河井夫妻の問題でも、安倍・スガに騙されたような形であり、内心怒るのも無理はない。(しかし私は自民党員でないので感想だけ)
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 異様な「眞子内親王と小室圭氏の結婚問題」の顛末について、そしてKK母の新たなる問題(前回お知らせした)「週刊新潮9月9日号」をさっそく読んだ。この件を含めていろいろなyoutubeがあった。面白おかしい動画はスルーして、主要な動画をUPする。

まず、私が実際に知っている、講演にも行ったことのある岩田氏の見解から。岩田氏はかなり自民党に肩入れしていたが・・・今回は皇室にも厳しい。

【国が滅びる、眞子内親王殿下の亡国の選択】皇嗣殿下にも責任はないのか?(21/09/01)




眞子さま 小室圭君 結婚 何か問題点ある?
・・・これは言葉が不適切で、最初?と思ったが話を聴くにつれ、要点を押さえており、内容についてはまともであった。





そして最も「いつもの路線」「最初から○○ありき」の動画はこれであった。
高清水女史と水島氏の「既定路線」で、高清水女史のいつものわかったような笑い・・・皇室ジャーナリストとして、皇室を護ろうとしているのにしては、その逆になっているのではないか?今回はさすがに厳しい内容だが。

【ch桜・別館】小室親子、金の切れ目が縁の切れ目?[桜R3/9/2]



作家・評論家の奥山篤信氏のシリーズ「東京五輪の感動」8  
いよいよ最終回になりました。このシリーズの「白眉」です。

◎東京五輪の感動8 
五輪記録映画<オリンピア>天才女流映画監督レニ・リフェンシュタールがナチス政権の宣伝に利用された、五輪の政治利用  

 〜ナチスの五輪であるベルリン大会1936年の記録映画というよりも芸術映画を作った天才映画監督のレニ、ナチスとの関係、ナチスの宣伝映画を作ったということで徹底的に死ぬまで叩かれ続けた彼女、俳優出身の美貌は建築家志望のヒトラーの芸術への愛着とも合致してそのプロパガンダに利用された。〜

この映画は陸上競技や開会式を記録した『民族の祭典』と、競泳、飛び込み、体操をはじめとする陸上以外の競技をまとめた『美の祭典』の2部構成となっている。
日本選手では、三段跳び金メダリストの田島直人、棒高跳び2位と3位の西田修平と大江季雄、陸上5000m、10000mともに4位の村社講平などが登場している。残念ながらドイツにせりかった前畑秀子の水泳は取り上げられていない。
しかしこの大会は多くの国がボイコット(ソ連・中国などなど)したのと、この年に日独防共条約が結ばれることもあり日独は友好的で、映画には日本人の活躍が多く描かれている。

ベルリン大会は「ヒトラーのオリンピック」といわれるように、ナチスのプロパガンダ及び国威発揚の場と位置づけられた。10万人が収容できる大規模なスタジアムを建設し、盛大に行われた大会である。
人種差別政策を採っていたナチスが、国際オリンピック委員会(IOC)の強い要求により、このときばかりはナチスの人種差別政策を抑制したので、アメリカの黒人選手ジェシー・オーエンスなど有色人種も活躍の場を得ることができた。
その様子は映画『オリンピア』に描かれている通りだ。映像技術面でも移動カメラ(カメラを移動させて対象を捉える)いろんな焦点距離をもつレンズの駆使、効果音の使用、スローモーションあり、撮り直しなどにより、競技を美的に描き、観る者を圧倒する。本当に美しいのだ。
再撮影というのは実際の競技は終了していた、しかし夜間に延長された撮影では明るさが足らず美しい画像がつくれない。そんなときは、別途撮影用に選手を集め、撮影に適した条件を作った上で競技を再現してもらい撮り直した。
有名なのが西田修平と大江季雄との死闘の棒高跳びである。特にわざとらしさもなく、この美しい二人のアスリートの戦いをみて驚いて撮り直しとは思えなかった次第だ。
さらに、この頃の日本人の容姿の男性美に惚れ惚れするのは僕だけではあるまい。
まさに今現代日本人の男性にはこんな顔は存在しない。
当時これなら日本男性は世界の女性の尊敬を集めるほど迫力があったのだ!

なぜ僕がレニのことをこのシリーズで書いたのか、やや唐突に見えるかもしれないが、五輪から政治的ファクターを排除することが、ヒトラーのベルリン五輪や中国共産党の北京五輪の国威高揚のみが政治の目的であることが以下に五輪の原点から逸脱するかを経験している我々が、それを忘れて、再度世界的にはさまざまな宗教などあり、キリスト教的正義などは断じて普遍性を持たない、普遍性のある政治などそもそも存在しないのにもかかわらず、一部の選手が大袈裟なジェスチュアで何らかの政治目的(宗教性や人権問題も含め)に利用する姿は結局自己撞着に陥るにすぎないことを言いたいのだ!

 奥山篤信さま、シリーズ連載をありがとうございました。奥山氏の元のエッセイはもっと詳しく長いのですが、私のブログ用にとまとめてくださったのです。元のエッセイは東京五輪関係者の方もお読みになり、熱烈な感想をお書きになっていますが、それは著作ができてからのお楽しみ、ご多忙の中でも名試合の数々や「ベルリンオリンピック1936年」の要点にも深く触れていただき、スポーツの祭典としての公平な眼差しを向けての視点と本来の五輪の魅力を説かれたエッセイの数々に感銘を新たにしました。
奥山篤信氏には多くのファンがいらっしゃって、ズバッとお書きになる作家としての胆力と瑞々しい感性を賞賛されています。また本が出版された時には皆様にお知らせしたいと存じます。


ブログのティールーム


本日は20世紀最高の「バイロイトの女王」キルステン・フラグスタートのソプラノでシベリウス作曲「それは夢か?」をお聴きください。

Sibelius: Var det en dröm?, Op.37, No.4






コメント (2)
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