日本のゴールデンウィークには到底及びませんが、先週末はイギリスも3連休だったので、この機会を利用してノースヨークムーアズというイングランドの北東部に位置する国立公園に1泊2日の小旅行に出掛けました。また、少し冗長になりますが、数回に分けて、旅行記を記します。
【ロンドン~ウィットビー(Whitby)】
初日はまず北海に面したノースヨークシャ州の港町ウィットビーを目指す。過去にも乗ったことのある午前7:30キングスクロス駅発エジンバラ行きのイーストコースト線に乗って出発。オリンピックを意識してか、キングスクロス駅がリーニュアルされていたのに驚く。出発の待合場所と到着の待合場所が分かれて、出発用の待合はモダンなデザインで生まれ変わった。今までの改札玄関フロアは到着者専用のゲートに変わっていて、人もめっきり少なくなり随分寂しくなっている。あの大きな出発電光掲示板や、雑然とした昔の上野駅を思い出させるような、旅情あふれる雰囲気が好きだったのだが、随分と雰囲気が変わってしまったのは寂しい。
(新しい出発フロア)
(到着専用となった旧待ち合いフロア)
(イギリスの路線の中でも有数の長距離路線です)
このキングスクロス-エジンバラ線の車窓はとても気に入っている。中でも最も美しいのは、北部のニューキャッスルからエジンバラ間の海岸線を走るところなのだが、ヨークまでの車窓も、平べったい田園風景が淡々と続くのが、イングランドっぽくて何とも好きな風景だ。持ち込んだ文庫本を読みながら、時おり、目を窓の外に向ける。この季節ならではの一面の菜の花で黄色に染まった野原が美しい。天気の方も、曇り空から青空が顔を見せるようになってきた。
(黄色の絨毯が続きます)
丁度2時間でヨーク駅に到着し、ここからローカル線の急行列車に乗り換え、東へ進む。3両編成の社内は、ぐっとローカル色が強くなる。まだ11:00だというのに、いろんなところが破れたジャンパーを着たおじさんがビール缶を片手にグビグビ飲んでいる。僕が、切符に刻印された番号の座席を探していたら、「どこに座ったっていいだよ。ウぃ。」と、そのおじさんは、虚ろな目を向けて、言ってきた。あんまり、逆らわないほうが良さそうだ。
1時間ほど乗って、終点のスカーバラ(Scarborough)で下車。ウィットビーにはここからローカルバスで北に更に1時間乗る。20分も乗ると左手に広大な荒野が広がってくる。これがノースヨークムーアズかと期待感が広がる。 更に進むと、今度は右手に大きく扇のように広がる海岸線が見えてくる。ロンドンを出発してもう4時間近くになるのだが、この風景を目にするだけで、あっという間に時間がたってしまう。
【ウイットビー・アビー 】
ウイットビーに到着して驚いた。地図上の位置や人口が1万3千人という情報から、日本の海岸沿いの寒村をイメージしていたのだが、全然違っていた。町の真ん中に北海に流れ込む川が流れ、その川を囲むように左右に小高い丘があり、河に沿って丘に挟まれるように町が形成されているのだが、その町並みは、レンガ色で統一された屋根が並ぶ家並みや、川に浮かぶ帆船(漁船なのかレジャー用なのか私には分からないが、日本の漁船とは全然違う)などの景観は、寒村というにはあまりにも垢抜けていて、むしろお洒落な感じがするぐらいだ。そして、連休のためか、明らかに観光客と思われる家族ずれが、街中をうろついている。B&Bに荷物だけ置いて、まずお目当てのウィットビー・アビーに向かって歩き出した。
(エクス川河口に架かる橋)
(川向うの丘の上に建つのがウィットビー・アビー)
(ウイットビー・アビーを目指して階段を上ります)
ウイットビーアビーは、北海の波が打ち寄せる海岸沿いの小高い丘にたっている。修道院として建てられたのは7世紀だが、少なくともローマ時代からここに人が生活していたことが確認されている。そして、16世紀の宗教改革で解散させられ、そのまま朽ち果た寺院跡として今に至っている。北海を前に、バックにはノースヨークムーアの丘陵を望む絶景のなかで、寺院は「佇む」という表現がこれほどぴったりとすることはないと思われるように、そこに存在していた。
(いよいよアビ‐が身近に見えてきた)
まずは、遠巻きに寺院を眺める。池から臨むアビーの姿は、絵になるとしかいいようがない。遠く後ろには、北海の海も見えるなか、野原の緑、アビーの灰色のアビー、青空のコンストラスが見事である。ぼんやりとではありのだけど、池にはアビーの姿が、風で波打つ水面に映っている。もう少し暖かければ、ボーッと数時間は過ごすことができるだろう。
(絵になる風景)
気温はまだ10度に達せず、冷たいそよ風が吹くなか、タンポポの黄色ほどは濃くはない、上品な黄色をした野花が緑の草の上に咲いているのがわずかに春を感じさせる。段々と雲が切れ、陽の光が体を照らし、風で冷たくなる体を暖めてくれた。
今度は、遺跡に近寄って間近くで見てみる。太陽と同じ方向に向かって見るアビーの壁は、全体が影になるため石の色が濃く暗く見え、1500年の時間を感じさせるかの如く神秘的に映る。逆光になるのでカメラを向けてもその色は全く写らない。逆に、寺院の反対側に廻って、太陽を背にすると、よくみえるのだが神秘さはなくなってしまう。難しいものだ。
寺院の中に入る。どこの教会にもあったのであろう回廊や祭壇を想像しながら、中世にこの寺院にいた修道士たちは何を思い、何を考えていたのか?想像は留まることがない。
上を向いて、天井近くの壁にカメラを向けると、私の小型自動焦点カメラが人の顔を認識したマークが現れた。よくよく見てみると、そこには人の顔が彫って合った。私の肉眼では認識していなかった石の上の彫像をしっかりと認識するなんて、この片手に収まるミニカメラもたいしたものだと感心した。
窓跡の空間から覗く青空が美しい 。
打ち寄せる波の音、小鳥のさえずりを聞きながら、そこに佇むアビーを、ぼんやりと見ていると、時間の経つのも忘れ、更には自分が中世にスリップしたような気にさえなる。なんと、長閑で、平和な時間なのだろうか。結局、2時間以上も、その辺りをうろうろして、あとにした。 もう、この旅行は十分。そんな感じだった。
(寺院の後ろに広がる野原)
(つづく)
【ロンドン~ウィットビー(Whitby)】
初日はまず北海に面したノースヨークシャ州の港町ウィットビーを目指す。過去にも乗ったことのある午前7:30キングスクロス駅発エジンバラ行きのイーストコースト線に乗って出発。オリンピックを意識してか、キングスクロス駅がリーニュアルされていたのに驚く。出発の待合場所と到着の待合場所が分かれて、出発用の待合はモダンなデザインで生まれ変わった。今までの改札玄関フロアは到着者専用のゲートに変わっていて、人もめっきり少なくなり随分寂しくなっている。あの大きな出発電光掲示板や、雑然とした昔の上野駅を思い出させるような、旅情あふれる雰囲気が好きだったのだが、随分と雰囲気が変わってしまったのは寂しい。
(新しい出発フロア)
(到着専用となった旧待ち合いフロア)
(イギリスの路線の中でも有数の長距離路線です)
このキングスクロス-エジンバラ線の車窓はとても気に入っている。中でも最も美しいのは、北部のニューキャッスルからエジンバラ間の海岸線を走るところなのだが、ヨークまでの車窓も、平べったい田園風景が淡々と続くのが、イングランドっぽくて何とも好きな風景だ。持ち込んだ文庫本を読みながら、時おり、目を窓の外に向ける。この季節ならではの一面の菜の花で黄色に染まった野原が美しい。天気の方も、曇り空から青空が顔を見せるようになってきた。
(黄色の絨毯が続きます)
丁度2時間でヨーク駅に到着し、ここからローカル線の急行列車に乗り換え、東へ進む。3両編成の社内は、ぐっとローカル色が強くなる。まだ11:00だというのに、いろんなところが破れたジャンパーを着たおじさんがビール缶を片手にグビグビ飲んでいる。僕が、切符に刻印された番号の座席を探していたら、「どこに座ったっていいだよ。ウぃ。」と、そのおじさんは、虚ろな目を向けて、言ってきた。あんまり、逆らわないほうが良さそうだ。
1時間ほど乗って、終点のスカーバラ(Scarborough)で下車。ウィットビーにはここからローカルバスで北に更に1時間乗る。20分も乗ると左手に広大な荒野が広がってくる。これがノースヨークムーアズかと期待感が広がる。 更に進むと、今度は右手に大きく扇のように広がる海岸線が見えてくる。ロンドンを出発してもう4時間近くになるのだが、この風景を目にするだけで、あっという間に時間がたってしまう。
【ウイットビー・アビー 】
ウイットビーに到着して驚いた。地図上の位置や人口が1万3千人という情報から、日本の海岸沿いの寒村をイメージしていたのだが、全然違っていた。町の真ん中に北海に流れ込む川が流れ、その川を囲むように左右に小高い丘があり、河に沿って丘に挟まれるように町が形成されているのだが、その町並みは、レンガ色で統一された屋根が並ぶ家並みや、川に浮かぶ帆船(漁船なのかレジャー用なのか私には分からないが、日本の漁船とは全然違う)などの景観は、寒村というにはあまりにも垢抜けていて、むしろお洒落な感じがするぐらいだ。そして、連休のためか、明らかに観光客と思われる家族ずれが、街中をうろついている。B&Bに荷物だけ置いて、まずお目当てのウィットビー・アビーに向かって歩き出した。
(エクス川河口に架かる橋)
(川向うの丘の上に建つのがウィットビー・アビー)
(ウイットビー・アビーを目指して階段を上ります)
ウイットビーアビーは、北海の波が打ち寄せる海岸沿いの小高い丘にたっている。修道院として建てられたのは7世紀だが、少なくともローマ時代からここに人が生活していたことが確認されている。そして、16世紀の宗教改革で解散させられ、そのまま朽ち果た寺院跡として今に至っている。北海を前に、バックにはノースヨークムーアの丘陵を望む絶景のなかで、寺院は「佇む」という表現がこれほどぴったりとすることはないと思われるように、そこに存在していた。
(いよいよアビ‐が身近に見えてきた)
まずは、遠巻きに寺院を眺める。池から臨むアビーの姿は、絵になるとしかいいようがない。遠く後ろには、北海の海も見えるなか、野原の緑、アビーの灰色のアビー、青空のコンストラスが見事である。ぼんやりとではありのだけど、池にはアビーの姿が、風で波打つ水面に映っている。もう少し暖かければ、ボーッと数時間は過ごすことができるだろう。
(絵になる風景)
気温はまだ10度に達せず、冷たいそよ風が吹くなか、タンポポの黄色ほどは濃くはない、上品な黄色をした野花が緑の草の上に咲いているのがわずかに春を感じさせる。段々と雲が切れ、陽の光が体を照らし、風で冷たくなる体を暖めてくれた。
今度は、遺跡に近寄って間近くで見てみる。太陽と同じ方向に向かって見るアビーの壁は、全体が影になるため石の色が濃く暗く見え、1500年の時間を感じさせるかの如く神秘的に映る。逆光になるのでカメラを向けてもその色は全く写らない。逆に、寺院の反対側に廻って、太陽を背にすると、よくみえるのだが神秘さはなくなってしまう。難しいものだ。
寺院の中に入る。どこの教会にもあったのであろう回廊や祭壇を想像しながら、中世にこの寺院にいた修道士たちは何を思い、何を考えていたのか?想像は留まることがない。
上を向いて、天井近くの壁にカメラを向けると、私の小型自動焦点カメラが人の顔を認識したマークが現れた。よくよく見てみると、そこには人の顔が彫って合った。私の肉眼では認識していなかった石の上の彫像をしっかりと認識するなんて、この片手に収まるミニカメラもたいしたものだと感心した。
窓跡の空間から覗く青空が美しい 。
打ち寄せる波の音、小鳥のさえずりを聞きながら、そこに佇むアビーを、ぼんやりと見ていると、時間の経つのも忘れ、更には自分が中世にスリップしたような気にさえなる。なんと、長閑で、平和な時間なのだろうか。結局、2時間以上も、その辺りをうろうろして、あとにした。 もう、この旅行は十分。そんな感じだった。
(寺院の後ろに広がる野原)
(つづく)