その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

角田房子 『閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母―』 (新潮社 1988)

2015-12-11 22:00:00 | 

《ちなみに本写真は文庫本。私が読んだのは図書館にあった単行本。違いはないと思いますが、念のため》

 数十年前、某予備校に通っていた頃、日本史の名物先生であったS師が「近現代日本史」の授業でこう述べられていたのを、今でも鮮明に覚えている。

 「明治以降、日本は海外でいろんな恥ずかしいことをやってきましたけど、その最たるものがこれですね。なんてたって、日本のごろつき連中が徒党組んで、外国の国王邸に乱入し、王妃を殺しちゃったんですよ。日本で皇居に押し入り、皇后陛下に危害を加えるなんてことが起こったら大変なことですよね~。そりゃあ、怒りますよ、朝鮮の人たちも。」先生の話し方が漫談のようなトーンであったこともあり、柔らかい空気の中での一コマであったのだが、確かにひどいことをするもんだとこの事件は脳裏に焼き付いた。

 本書は、その1895年に朝鮮で起こった閔妃暗殺事件を描いたノン・フィクションである。筆者は歴史家ではないが、様々な史料をあたり、筆者の仮説を含めて、事件が起こる時代的背景から、事件、そして事件後までの経緯を朝鮮の政治史を軸に丁寧に描いている。『「日本への身びいきから、自国に都合のよい一人よがりの歴史を書いてはならない」と、強く自分を戒めた』(単行本p364)とあるが、1988年発刊の本書からは、昨今の勇ましく歴史を解釈する政治家たちの発言に反して、誠実に史実を追いかける筆者の人格と歴史に謙虚なその姿勢が伝わってくる。

 私自身、明治以降の日本の近代化の歩みや日朝関係は、日本史の視点から本を読んだりしてきたが、本書のように朝鮮の立場からこの時期の朝鮮や日本を見たことはなかったので、非常に新鮮だった。日本と中国に挟まれ、中国の属邦として歴史を重ねてきた朝鮮が迎えた近代は、地政学的にも、歴史的にも、国の舵取りが極めて難しかったことが良くわかる。また、内なる近代化の基礎を終えつつあった日本が、朝鮮を足掛かりに海外進出を企てた国際戦略や対中国、対ロシアを考えた時の日本にとっての朝鮮の位置づけ、そしてそうした時代の空気も良く伝わる。閔妃についてはいろんな悪政もあったようなので、本書は閔妃についての評価というよりも日朝関係史のサイドテキストとして読むのがよいと思う。

 本作の著述を始めるまで、福沢諭吉の「脱亜論」など、国権派としての福沢の側面を知らなかったという筆者のコメントは、「脱亜論を知らなかった人が書いた本なんて果たして大丈夫なのだろうか?」とかなり不安を覚えさせたが、却って変な先入観・思い込み無く、この時代を虚心に見つめた成果として、受け止めることができる。こんな歴史が隣国との間にあったということは、日本人として知っておく必要がある。少なくとも私は、『『閔妃暗殺』をお読み下さる一人でも多くが、どうぞ隣国への”遺憾の念”を持ち、それを基とした友好関係、相互理解を深めてくださるようにと、私は切に願っている。』(p364)という筆者の思いを受け止めた。


《目次》
プロローグ―池上本門寺の墓地にて
李氏朝鮮王朝通信使
大院君、政権を握る
閔妃登場
悲しき王妃の座
閔氏一族の結束
王世子誕生
朝鮮の鎖国を破った日本
反閔妃、反日のクーデタ
大院君拉致事件
開化派青年たちの見た日本
閔妃暗躍
王妃をとりまく外国人たち
刺客と世紀末のパリ
外務大臣陸奥宗光の記録
朝鮮王朝の分裂外交
閔妃の自負心
日本公使の交替
下関の李鴻章
公使井上馨の失権
王妃暗殺計画
決行前夜
暁の惨劇
広島裁判の謎
陸奥宗光への疑惑
エピローグ―日韓併合への道

コメント
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