★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

ナンバー探しの残滓

2021年07月18日 19時19分39秒 | 徒然(つれづれ)
 以前、朝のウォーキング中に、行き交うクルマのナンバー探しの遊びをやっていたのは既報の通り。
 ゾロ目、キリ番、1桁ナンバーの3種類で、その中には、いつも同じ場所に駐車していた車が何台もある。

 今でも、1111、2222、3333、6666、8888、9999、2000、7000、8000、2、5、9のナンバープレートの車がどこにあるか頭に入っている。
 そのほかに、語呂合わせで、8929(焼肉)、7878(ナハナハ)、4771(死なない)、1192(いい国)、8765(花婿)もいつも同じ場所にある。

 分譲戸建て住宅が7~8軒並んでいる場所には、異なる家で、222と2222のナンバーの車がそれぞれ2台づつあり、私的に2の住宅街と呼んでいる。
 また、中古車センターには8888のナンバーの業務用の車が3台ある。
 たまに、その場所にいないと、今日は用事で出ているのかな、遠出でもしているのかなと、気にかかる。

 ナンバー探し遊びをやめても、なんの役にも立たない、そんなことが記憶に残っているものだ。



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親父のオートバイと月影のナポリ

2021年07月18日 12時52分56秒 | 徒然(つれづれ)
 1960年、まだ私が保育園児の頃、親父が友人から借りたオートバイ(当時はバイクなどというお洒落な呼び方はなかった)で仕事から帰って来た。
 夕食が済み、夜になって、オートバイに乗りたいとせがむ私を後ろに乗せて、親父は海沿いの国道をひた走った。

 私は両腕を親父の胴にまわし、振り落とされないようにしっかりと掴まっていた。
 頬を打ち髪をなびかせる風が心地よかった。
 轟くエンジン音と強烈に匂う排気ガスの臭いが記憶に残っている。

 見上げた空には、雲間から青白い満月が見えた。
 私の頭の中に当時流行っていた、森山加代子の「月影のナポリ」のメロディが浮かんできた。
 それ以来、「月影のナポリ」を聴くと条件反射的に、あの夜のオートバイの疾走感と青い満月が甦ってきた。

 私が中学3年の終わりに、森山加代子は「白い蝶のサンバ」で長い低迷期間ののちに復活した。
 残念なことに、どこをどう探しても、あの「月影のナポリ」の哀愁に満ちた雰囲気はなくなっていた。


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