一昨日、昨日と岡山へ行って来ました。
まず訪れたのは、真庭市。
唐木で家具を製作しておられた、廣田さんの工房です。
廣田さんは、黒田乾吉木工塾で一緒に学んだ太田さんの唐木のお師匠さんで、紫檀や花櫚の材を分けていただいたり、昨年秋の作品展にも来ていただきました。
工房へお誘い頂き、昨年12月にお伺いする約束をしながら、今頃になってしまいましたが、妻と二人で寄せていただきました。
廣田さんは大坂で唐木の家具製造会社を営みながら、家具組合の理事をされたりして活躍されていましたが、身体を壊されたのを機会に生まれ故郷の真庭市に帰ってこられたのだそうです。
それが25年ほど前の60歳の時だそうですから、今85歳。
そんなお歳とは思えない程お元気で、唐木のことや若い頃の仕事のことなどいろいろ伺いました。
太田さんも交えてのお話しはとても楽しく、また、勉強にもなりました。
現在は唐木のお仕事はされていないそうですが、工房内には使われていた機械や材料などもそのまま残されていました。
その材料の中から、紫檀や手違、花櫚などの材をいろいろ頂いてしまいました。
大切に使わせていただきたいと思います。廣田さん、太田さんありがとうございました。
私は岡山へ行ったのはこれが初めて、行ったついでに倉敷まで足をのばしました。
もちろん倉敷も初めて。早速美観地区へ。
夕暮れ迫り、灯りの付いた古い街並みの散策はなかなか良かったです。
翌日は月曜日、美術館等はほとんど休み。
小雨の中再び美観地区を散策。
米倉を改装した喫茶店でお茶。
そして、備前焼の窯元のお店をのぞいてみました。
その店のご主人藤岡さんに、備前焼の見方などいろいろ教えていただきました。
お話しの中で、ご主人は元学校の教師。知的障害を持つ子ども達の働く場を作るために47歳で退職して、苦難の末「たけのこ村」を設立されたということを知りました。
藤岡さんも今85歳。子ども達の力を引き出し、生きる自信を育てて来られたその生き方と、もの作りにかかわる姿勢からはいろいろ学ばせて頂きました。
最後に、「大野昭和齋記念資料館」へ
ここは、人間国宝であった大野昭和齋の自宅だった建物。
内部もそのままで見学者に開放されています。
展示されている作品は少なかったのが残念でしたが、木工芸だけでなく、作陶や書などにも造詣が深かった大野昭和齋の在りし姿を偲ぶことができました。
忙しい中での旅でしたが、楽しく有意義な二日間でした。
まず訪れたのは、真庭市。
唐木で家具を製作しておられた、廣田さんの工房です。
廣田さんは、黒田乾吉木工塾で一緒に学んだ太田さんの唐木のお師匠さんで、紫檀や花櫚の材を分けていただいたり、昨年秋の作品展にも来ていただきました。
工房へお誘い頂き、昨年12月にお伺いする約束をしながら、今頃になってしまいましたが、妻と二人で寄せていただきました。
廣田さんは大坂で唐木の家具製造会社を営みながら、家具組合の理事をされたりして活躍されていましたが、身体を壊されたのを機会に生まれ故郷の真庭市に帰ってこられたのだそうです。
それが25年ほど前の60歳の時だそうですから、今85歳。
そんなお歳とは思えない程お元気で、唐木のことや若い頃の仕事のことなどいろいろ伺いました。
太田さんも交えてのお話しはとても楽しく、また、勉強にもなりました。
現在は唐木のお仕事はされていないそうですが、工房内には使われていた機械や材料などもそのまま残されていました。
その材料の中から、紫檀や手違、花櫚などの材をいろいろ頂いてしまいました。
大切に使わせていただきたいと思います。廣田さん、太田さんありがとうございました。
私は岡山へ行ったのはこれが初めて、行ったついでに倉敷まで足をのばしました。
もちろん倉敷も初めて。早速美観地区へ。
夕暮れ迫り、灯りの付いた古い街並みの散策はなかなか良かったです。
翌日は月曜日、美術館等はほとんど休み。
小雨の中再び美観地区を散策。
米倉を改装した喫茶店でお茶。
そして、備前焼の窯元のお店をのぞいてみました。
その店のご主人藤岡さんに、備前焼の見方などいろいろ教えていただきました。
お話しの中で、ご主人は元学校の教師。知的障害を持つ子ども達の働く場を作るために47歳で退職して、苦難の末「たけのこ村」を設立されたということを知りました。
藤岡さんも今85歳。子ども達の力を引き出し、生きる自信を育てて来られたその生き方と、もの作りにかかわる姿勢からはいろいろ学ばせて頂きました。
最後に、「大野昭和齋記念資料館」へ
ここは、人間国宝であった大野昭和齋の自宅だった建物。
内部もそのままで見学者に開放されています。
展示されている作品は少なかったのが残念でしたが、木工芸だけでなく、作陶や書などにも造詣が深かった大野昭和齋の在りし姿を偲ぶことができました。
忙しい中での旅でしたが、楽しく有意義な二日間でした。