わたしの子供の頃
子供の頃
口を聞くと、なんだか恥ずかしくて皆の視線が怖くて。
なんだか、背が小さくてひょろひょろで、目立つとすぐにいじめられ…
誰にも気がつかれないように、学校では透明になりたかった。
家でも、なんだか
ごはんは好き嫌いが多くて食べないし。習い事は続かないし。
夜中に全然寝ないし。
叱られてばかりで、いつからか親父が起きている間には家族との時間も避けるようになり。
だれにもその話ができなかった。
「この人なら大丈夫」って思える人が見つからなかった。
家族を含めて。
いま思うと悲しい話。
親不孝だなぁと思います。
自らが子供を育てており、我が子にアドバイスしたり、我が子の味方になるにはどうすればいいのか。
少し考えてみた。
そのころのじぶんにいま、私がしてあげられるとしたら…
なんだろう。
理由があるから黙っているわけで、話してよといくら言われても、できないわけで。
根本的な根を断ちたかった。
私の場合は具体的には、いじめられる状況を跳ね返すために、少林寺拳法を習いたかったし、背をなんとかして伸ばしたかった。
人に勝てるものが欲しかった。
結果、武道ではないけれど、背が小さいことがハンデにならない卓球を進められて、中学の部活動は続けられたし、高校一年の夏に、名市大で脊椎に成長ホルモンを打ち、背が伸びた。
結果としては、その二つが大きかった。少しだけ、生きるのがらくになった。
コンプレックスの塊から抜け出せた。
我が子に照らすとどうだろう。
気がつけるだろうか、私に。
なにか、SOSをだしてはいないだろうか。
サインを見逃さず、なにか改善できることがないか、わかればね。
まぁ、だいたいの場合、自分でも、明確にわかっていないかもしれないから、難しいけどね。
でも、なにかひとつ
じぶんなりに納得できて、皆に誇れる特技を持つのはいいようなきがするなぁ。
私は子供の頃、小学校の高学年くらいからかな、親のいうことを聞かなくなりました。
中1になり、自分から不安になり英語塾に行きたいと親に言いました。
それまでは、なにも続かなかったのに。(>_<)
わがままを母は聞いてくれました。
その分は自らが働くからと
父が「お金がない」というのを抑えて。
いま思うと、あのときすでに母は第二頸椎を損傷していたわけで、首の痛みは尋常ではなかったはずで
父に「家事をサボるな」とか「すぐに疲れたと言い過ぎだ」とか罵声を浴びながら、パートを続けてくれていた。
卓球が特技になったのは、小学校の頃から、父が探してきてくれた、全国レベルのクラブに、かなり遠くまで母が毎週連れて行ってくれたからだなぁと
それはもう、半強制的みたいな感じでしたけど。(^^;;
背が伸びたのは、母がいろんな人に聞いて回り、少し遠くの大きな病院まで、連れて行ってくれて
専門外来を受診してくれたら
こうしてみると。
我が親もいいところありますね。
なかなか気がつかないものです。
感謝できるのは、だいぶあと。
でも、効果はたぶんありました。
いいと思うものは信念を持ってやらせたり勧めて。
あとのことは、任せる。
むつかしいけれど、それがたいせつなんだろうか。
いまになると思います。
悩める我が子のために、なにができるのか。
考えれば考えるほど、自分の子供時代のことを思い出す。
そうしてはじめて気がつく親の思い、たくさんある。
遅いのかもしれないが、両親に感謝しなければ。
まだ、生きていてくれて良かった。
子供の頃
口を聞くと、なんだか恥ずかしくて皆の視線が怖くて。
なんだか、背が小さくてひょろひょろで、目立つとすぐにいじめられ…
誰にも気がつかれないように、学校では透明になりたかった。
家でも、なんだか
ごはんは好き嫌いが多くて食べないし。習い事は続かないし。
夜中に全然寝ないし。
叱られてばかりで、いつからか親父が起きている間には家族との時間も避けるようになり。
だれにもその話ができなかった。
「この人なら大丈夫」って思える人が見つからなかった。
家族を含めて。
いま思うと悲しい話。
親不孝だなぁと思います。
自らが子供を育てており、我が子にアドバイスしたり、我が子の味方になるにはどうすればいいのか。
少し考えてみた。
そのころのじぶんにいま、私がしてあげられるとしたら…
なんだろう。
理由があるから黙っているわけで、話してよといくら言われても、できないわけで。
根本的な根を断ちたかった。
私の場合は具体的には、いじめられる状況を跳ね返すために、少林寺拳法を習いたかったし、背をなんとかして伸ばしたかった。
人に勝てるものが欲しかった。
結果、武道ではないけれど、背が小さいことがハンデにならない卓球を進められて、中学の部活動は続けられたし、高校一年の夏に、名市大で脊椎に成長ホルモンを打ち、背が伸びた。
結果としては、その二つが大きかった。少しだけ、生きるのがらくになった。
コンプレックスの塊から抜け出せた。
我が子に照らすとどうだろう。
気がつけるだろうか、私に。
なにか、SOSをだしてはいないだろうか。
サインを見逃さず、なにか改善できることがないか、わかればね。
まぁ、だいたいの場合、自分でも、明確にわかっていないかもしれないから、難しいけどね。
でも、なにかひとつ
じぶんなりに納得できて、皆に誇れる特技を持つのはいいようなきがするなぁ。
私は子供の頃、小学校の高学年くらいからかな、親のいうことを聞かなくなりました。
中1になり、自分から不安になり英語塾に行きたいと親に言いました。
それまでは、なにも続かなかったのに。(>_<)
わがままを母は聞いてくれました。
その分は自らが働くからと
父が「お金がない」というのを抑えて。
いま思うと、あのときすでに母は第二頸椎を損傷していたわけで、首の痛みは尋常ではなかったはずで
父に「家事をサボるな」とか「すぐに疲れたと言い過ぎだ」とか罵声を浴びながら、パートを続けてくれていた。
卓球が特技になったのは、小学校の頃から、父が探してきてくれた、全国レベルのクラブに、かなり遠くまで母が毎週連れて行ってくれたからだなぁと
それはもう、半強制的みたいな感じでしたけど。(^^;;
背が伸びたのは、母がいろんな人に聞いて回り、少し遠くの大きな病院まで、連れて行ってくれて
専門外来を受診してくれたら
こうしてみると。
我が親もいいところありますね。
なかなか気がつかないものです。
感謝できるのは、だいぶあと。
でも、効果はたぶんありました。
いいと思うものは信念を持ってやらせたり勧めて。
あとのことは、任せる。
むつかしいけれど、それがたいせつなんだろうか。
いまになると思います。
悩める我が子のために、なにができるのか。
考えれば考えるほど、自分の子供時代のことを思い出す。
そうしてはじめて気がつく親の思い、たくさんある。
遅いのかもしれないが、両親に感謝しなければ。
まだ、生きていてくれて良かった。