もったいないような良い秋の日の次は、何の惜しげもなく何となく中途半端な天気の日になってしまうんですね。それが自然なんだなと思いました。人情など入るようなことは決してありません。
今日もゴロゴロで、グータラしていました。じゃんけんをしている鱈です。グー鱈。最初はグー。ブログもグー。 ・・・・・。
そんなことより、こう徹底して 愚 鱈 というのも辛いですね。美術館にでも行ってみようと思いましたが、やめました。月曜が休日の時には火曜日が休館日になることが多いような気がしたからです。よくぞ気がついたことよと、自分を誉めてやりたくなりました。← どこかの誰かがこんなこと嘗て言っていましたね。
そういう、一つでも何か躓くようなときには、きっと何をやってもうまく行かないと思います。家で5656ということに決めました。雑草が茂りつつある中にいるのも辛いですが。
私の体はガタが来てますが、家の方にもガタがきています。雨樋が駄目になりました。二階ですので、足場を組んで行くわけです。大変です。といういことは・・・・。費用が・・・・。喜んでばかりもいられないッス。
お金は足が生えているかのように、歩いて、あるいは駆け足で動き回るから「足」と言うのですね。今は「お」を付けていいます。大抵は、動き回ることは事実ですが、手元から外へ動いて行ってしまいますね。足場が出来ると「お足」も・・・・。それは悪(あ)し。
でも、ひと文字くっつくと、とても良い雰囲気に。オアシス。
板金屋さんは手際よく仕事をしてくれました。どうですか、この輝き。万金ですね。新しいものは良いですね。皆さんの奥方さまや、旦那様はいかがですか。多少古くなってきているとは思いますが、お互いに良いところがたくさんあることでしょう。大切にしてください。スルメは噛むほど味がでますからね。スルメなどに例えてしまってすみません。そういう例えはもうするめぇ。
ところで、元のはプラスチックの雨樋だったので、風化してとろけてしまった部分もありました。
家は部分的にあちこち修理してきました。サイディングを取り替えたり、アルミサッシュもひどくなったので取り替えたり、床を張り直したり・・・。家のカテーテルはまだやったことないですけど。下水は詰まる所はないし。
建ててから50年以上も経つ物置なのですが、まだ田んぼを作っていたころに建てたものですから、米を仕舞っておく部屋がありました。つまり米倉です。でも、米はもう保管しないし、暗くて使いづらいので、この床をぶち抜いて、表から直接草刈り機などを入れられるようにしてもらおうとしています。
ここに、箪笥・長持もありましたが、ガタピシになってしまいましたので、それは処分です。この棟の前にもうひと棟の物置があるのですが、そこに移動しても、将来も使うことはもうありません。時代が変わってしまいましたね。
箪笥も長持も、棹を通すところがあります。数えるのにひと棹ふた棹と数えるのももっともだと分かります。
同じような形をした物置は、近所にも必ずと言ってよいくらいありました。その昔の一種の流行した建築様式だったんでしょうね。でも、今では使いづらく、どんどん姿を消しています。農業の形式が変わったり、農機具などが多くなったせいでしょうね。
一日一茶
むさしのへ投出ス足や秋の暮
廃句 & 稚(わか)
むさし野は私の生まれし所なり
むさし野は京王線の走るとこ
むさし野や踏切の音子守歌
むさし野のけやき並木は古くなり
むさし野に帰るところはすでに無し
むさし野は遠きにありておもうもの
むさし野を思い出したり秋の暮れ
むさし野やあゝむさし野やむさし野や
むさし野は遠きところになりにけり
父も母も今はおもかげ
パロディの句は数多(あまた)あれど
先ずは愛でてほし一茶の名句
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