キビしい現実

2008年10月16日 | Weblog

 息が荒くならない程度ならと思って、茎から上の部分を刈り取ったモロヘイヤの株をシャベルで5つほど掘り起こしてみました。今は、ウォーキングもやらないでいますから、一つを掘り起こすにもゆっくりやり、二つ目にかかるのに、青空を眺めたり、ジャンボジェット機をしばらく見上げてみたりして時間をかけています。この天気が良い日に、モロヘイヤの根っこで倒れたりしたのではつまらないですからね。近所に聞こえたらみっともない。

 

 キビです。今年は、間違って種も何も全部使ってしまいましたので、全部こぼれ種が育ったものということになってしまいました。

 全部使ってしまって、種が無いと気づいたときには、と来ましたね。鶏に向かって「戻せ~~~っ」と叫んでもどうしようもない。でも、こぼれた種があったので助かりました。間違ってファイルを全部消してしまったときのような気持ちになりました。

 

 雀にかなり食べられています。しかし、雀が穂に留まり折れたものにはもう留まれませんから、それはかなり実が入ったままで残っていました。

 

 穂だけ剪定ばさみで刈り取って、古新聞を入れる袋に。穂だけを刈り取るなんて、東南アジアのどこかの国の米の取り入れのようなやりかたです。このあとは、ゴザに広げて干しました。数日干して、殻をとばして実を収穫です。これくらいの仕事は心臓に負担をかけません。

 土にはずいぶん実が落ちていました。また来年も、こぼれ種を育てることになります。手間が省けます。こういう変わったものを育てている理由は、知人から種をもらったからです。気が向けば粉にしてキビ団子を作ります。

 

 「お宅の大根はまだ小さいようだから。」と言って、そのキビの種をくれた人が大根を持ってきてくれました。これは JA 売店への出荷漏れのものです。曲がっています。間引きした後に風が吹くと曲がるのだそうです。

 その人も、キビを少しばかり作っていますが、間違ってトラクターで耕してしまったのだそうで、もう自宅には無いそうです。奥さんからキビしく叱られたそうです。「それじゃ、持っていったらよがっぺ。」と言って、すこしばかり種として刈り取ってあげました。一部里帰りです。

 お茶を飲みながら雑談をしましたが、ここだけでしか聞けないという近所の特ダネなどをゲットすることができました。そういう特ダネはさっぱり金銭的な価値がありませんね。知らなくても良いようなことばかりで、野次馬特ダネばかりです。

                 


 


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寝ていた大工さんを起こす

2008年10月15日 | Weblog

 朝のうちは、少し頬が濡れるかなと思われるくらいの霧雨が時折降ったりしていたのですが、どんどん天気がよくなり、とても良い秋晴れの日になりました。

 大工さんの仕事はどんどん進んでいます。今日は雨戸のサッシュを取り付けました。間違って、戸板を一枚少なく送ってきたと、サッシュ屋さんが文句を言っていました。

 うっかりは、サッシュの業者ばかりではなく、年金の二重取りとお役所に文句を言う年寄りの様子をニュースでやっていました。うっかりミスで済まされるかと言わんばかり。そうですよね。返却するにも、その手間には税金を使うのですから忘れないでね。

 サッシュ屋さんは、先日は「私は涸沼の近くに住んでいますから。」なんて良いながら、しじみを持ってきてくれましたっけ。大工さんを通して結構つき合いがある仲でもあると言えます。

 

 大工さんは、もう年なので仕事をやめてしまったのですが、私はそれを知らずに頼んだものですから、「それじゃやるか」と言って、奥さんが運転で再び仕事にとりかかってくれています。今までにずっと頼んできた大工さんなので安心できます。

 

 「 亀城庵便り 」に、たけさんの書いている記事が載っています。今回はトマトの話です。これを読むと、たけさんがいかに物作りに正面から取り組んで励んでいるか、よくわかりますね。たけさん、すばらしいですよ。

 

 うまかった~~~っ。

 

          この花の名前忘れた人は誰や


 一日一茶

  秋の夜や隣を始(はじめ)しらぬ人

 廃句

  秋の夜や隣を始め更けにけり

  秋の夜やひとり更けゆき寒くなり

  秋の夜やひと雨ごとに寒くなり

  秋の夜やこおろぎの音にあはせけり

  秋の夜やしきりに昔がなつかしく

  秋の夜や猫がひと鳴き闇の中

  秋の夜やあした天気にな~~れ

のらりくらり

2008年10月14日 | Weblog


 もったいないような良い秋の日の次は、何の惜しげもなく何となく中途半端な天気の日になってしまうんですね。それが自然なんだなと思いました。人情など入るようなことは決してありません。

 今日もゴロゴロで、グータラしていました。じゃんけんをしている鱈です。グー鱈。最初はグー。ブログもグー。 ・・・・・。

 そんなことより、こう徹底して 愚 鱈 というのも辛いですね。美術館にでも行ってみようと思いましたが、やめました。月曜が休日の時には火曜日が休館日になることが多いような気がしたからです。よくぞ気がついたことよと、自分を誉めてやりたくなりました。← どこかの誰かがこんなこと嘗て言っていましたね。

 そういう、一つでも何か躓くようなときには、きっと何をやってもうまく行かないと思います。家で5656ということに決めました。雑草が茂りつつある中にいるのも辛いですが。

 

 私の体はガタが来てますが、家の方にもガタがきています。雨樋が駄目になりました。二階ですので、足場を組んで行くわけです。大変です。といういことは・・・・。費用が・・・・。喜んでばかりもいられないッス。

 お金は足が生えているかのように、歩いて、あるいは駆け足で動き回るから「足」と言うのですね。今は「お」を付けていいます。大抵は、動き回ることは事実ですが、手元から外へ動いて行ってしまいますね。足場が出来ると「お足」も・・・・。それは悪(あ)し。

 でも、ひと文字くっつくと、とても良い雰囲気に。オアシス。


 

 板金屋さんは手際よく仕事をしてくれました。どうですか、この輝き。万金ですね。新しいものは良いですね。皆さんの奥方さまや、旦那様はいかがですか。多少古くなってきているとは思いますが、お互いに良いところがたくさんあることでしょう。大切にしてください。スルメは噛むほど味がでますからね。スルメなどに例えてしまってすみません。そういう例えはもうするめぇ。

 ところで、元のはプラスチックの雨樋だったので、風化してとろけてしまった部分もありました。
 
 家は部分的にあちこち修理してきました。サイディングを取り替えたり、アルミサッシュもひどくなったので取り替えたり、床を張り直したり・・・。家のカテーテルはまだやったことないですけど。下水は詰まる所はないし。

 

 建ててから50年以上も経つ物置なのですが、まだ田んぼを作っていたころに建てたものですから、米を仕舞っておく部屋がありました。つまり米倉です。でも、米はもう保管しないし、暗くて使いづらいので、この床をぶち抜いて、表から直接草刈り機などを入れられるようにしてもらおうとしています。

 ここに、箪笥・長持もありましたが、ガタピシになってしまいましたので、それは処分です。この棟の前にもうひと棟の物置があるのですが、そこに移動しても、将来も使うことはもうありません。時代が変わってしまいましたね。

 箪笥も長持も、棹を通すところがあります。数えるのにひと棹ふた棹と数えるのももっともだと分かります。

 

 同じような形をした物置は、近所にも必ずと言ってよいくらいありました。その昔の一種の流行した建築様式だったんでしょうね。でも、今では使いづらく、どんどん姿を消しています。農業の形式が変わったり、農機具などが多くなったせいでしょうね。

 一日一茶

  むさしのへ投出ス足や秋の暮

 廃句 & 稚(わか)

  むさし野は私の生まれし所なり

  むさし野は京王線の走るとこ

  むさし野や踏切の音子守歌

  むさし野のけやき並木は古くなり

  むさし野に帰るところはすでに無し

  むさし野は遠きにありておもうもの

  むさし野を思い出したり秋の暮れ

  むさし野やあゝむさし野やむさし野や


  むさし野は遠きところになりにけり
           父も母も今はおもかげ

  パロディの句は数多(あまた)あれど
             先ずは愛でてほし一茶の名句


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ごろごろ

2008年10月13日 | Weblog

 高齢者のような、何もしないという日々を送っています。草が出ていようと、畑で枝豆がひしめきあっていようと、気にしちゃ駄目なのです。一ヶ月は安静なのです。和敬静寂のこころなのじゃ。

 

 従って、やることと言ったら食べること。おっと、これは二番目に駄目なのです。もちろん一番ダメなのは体をつかうことです。ですので、ゴロゴロとしているということです。本当はこれも良くないのですが、一番目の駄目な条件を守ろうとすると、これになっちゃうんですよ。

 

 最初に蒔いたほうれん草です。もうちょっと我慢です。そしたら、茹でてもらいサッと醤油をかけて 食べるぞーーーーっ。

 石灰を撒いて置いたおかげです。石灰を使わないととろけて無くなってしまいます。土が酸性ですからね。さんせいの反対は反対ではなくて、この場合はアルカリ性。猿にもできるのは反省。私は今は安静。我が家のあたりは閑静。明けの明星は金星。いいかげんにします。


 

 これが次に蒔いたほうれん草です。このあともまた蒔いてあるはずです。私は今はできませんが、とにかく、おせっかいに聞こえるかも知れませんが、お石灰を撒いておかないとネ。

 今日の朝日新聞の声の欄に、野菜の種は一回分には多すぎるから、家庭菜園用には小袋にすべきだと言っている人がいました。でも、2年、ものによっては3年くらい経たものでも発芽しますね。とは言うものの、確かにあのサイズの袋だと多すぎますね。反面、小袋にすると割高になるかも知れませんね。


 

 奥さんの退職に遠くの友達が花を贈ってくれました。うれしいですね。これからは、友達を今まで以上に大切にして、せっせとおつきあいをしないと、孤独な毎日になってしまいます。

 一日一茶

   名月や高観音の御ひざ元     高倉観音

 廃句
  
   名月やこおろぎの声酒の味

   名月や畳の上に猫の影

   名月や畳の上に待つの影

   名月やこよいも私独り占め

   名月や昼の疲れで高いびき

   名月や宵をすぎれば誰も見ず

   名月や今日もきのうと同じかな

   名月や明日も今日と同じだろ

   名月や今の私は猫生活


 

オクラとカマキリ

2008年10月12日 | Weblog

 朝晩は「寒」という文字を使いたくなってきました。つい先日までは「暑」という文字をよく使っていたような気がします。これを四字熟語風にしてみました。 暑去来寒。

 

 これも、そろそろ終わりですね。どうしても、サヤを大きくしてしまいます。どうもタイミング良く取りにくい野菜です。四時熟語風に 油断莢大。

 

 何を好んでキュウリと言い、オクラと言いこんなに曲がるのでしょうかね。まあ、曲がりたいだけ曲がらせておけばいいんでしょうけど。もう少しそのまま置いて、種を取りその種はオクラ入りということになります。

 

 ある日、網戸にこのようなものが体を休めていました。じっとして動かなかったのですが、過ぎていった夏のことを懐かしんでいたのでしょうか。

 山口百恵という歌手が、私がまだ若い頃いました。女学生などは大変好きだったようです。彼女が引退の時に、修学旅行で奈良に行っていたのですが、奈良公園の近くにある旅館のロビーは涙を流しながらコーフンしている女学生でいっぱいでした。その晩は彼女の引退のコンサートがあったからです。あの頃の女学生は、もうかなりの年になります。自分の娘が同じ年くらいになっていると思いますね。

 好きだの嫌いだのという範疇には入らない歌手だったのですが、妙に彼女のある歌の文句がしきりに思い出されてなりません。

   ”カマッキリ カマッキリ カマッキリですか~~~  ”

 

 そしてまた別の日には、アコーディオン・フェンスのところに。どちらも頭を下にして、鎌を下に延ばしていました。どうして逆立ちが好きなのか、聞いても答えてはくれないでしょうから、聞きもしませんでした。四字熟語風に言えば 沈思黙考 秋日下鎌 です。

                  

 オクラとカマキリ。どちらも偶然、写真が二枚ずつになってしまいましたが、なんの共通点もありません。あるとしたら、どちらも夏のものというくらいですね。           

 取り上げた私に、何の特別な意図があるわけでもないし、主張があるわけでもありません。単なるブログですから。ただ、ある日のある時のそれぞれの一こまです。でも敢えて言うなれば 行く秋の夏の名残 です。四字熟語風に縮めれば 行秋残夏 です。

 

  一日一茶

   どちらから寒くなるぞよかゞし殿

  廃句

   どちらから仲良くなるか天璋院

   どちらから身を引くことに一太郎    一郎と太郎の一騎打ち

   どちらからと訪ねられけり我が老母   自分の娘が他人に見え

   どちらからもやってこないお金かな

   どちらからどっちへ行っても及びなし

   どちらからお日様登っても面白し

   どちらからどちらへ行くの今日と明日

   どちらからやってきたのかこの私

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秋の夜

2008年10月11日 | Weblog

 いかにも秋らしくなってきました。これからは天気に恵まれれば、美しい秋を味わうことが出来る日が多くなってくると思います。私は、今頃から霜が降りる頃にかけてが一年のうちで一番落ち着いて暮らせる時期と感じています。


 

 今年も105円の暦を買ってきました。たいして使いませんし、かと言って中味がいい加減というわけではないので、これで十分です。占いのようなものはトンと縁がないので、下の段の方は見ません。旧暦で何日なのかなとか、二十四節気で何が近いのかなとか、まあその程度のことを見るくらいです。あまりこだわると、窮屈で生活できなくなります。

 

 もう、そろそろキュウリもおしまいです。相変わらず、こういうものがおいしいです。パリッとなるのがいいですね。まさに36kmです。味噌はもらいものですが自家製のものです。


 

 何が言いたいかと言いますと、小松菜を食べたよということです。上の方にあるのは、JAの食材で配布されたハンペンです。ハンペンなんて聞くと、数学を思い出してしまいますね。昔は幾何なんて教科があって、「なんて読むんだ? イクナン???」なんてやってましたが、意味のさっぱり分からない日本語でした。いまも分かりません。

 「一片がどうのこうので、そこに補助線を引くと、、、、」 あ~~、あの頃の苦労を思い出すので、もう止めます。ハンペンの味も落ちますワイ。


 

 手術後は、何も自覚症状がないので、たぶん大丈夫なんでしょうね。自重して無理はしないようにしています。何かあったら、とんでもないことになってしまう可能性だってありますからね。隣のベッドにいた方は手術はどうなったことやら。うまく行っていると良いですが。

 補) 36km = 9里 = キュウリ

 一日一茶

  秋の夜や旅の男の針仕事

 廃句

  秋の夜や旅の男の高いびき

  秋の夜や旅の男に白い雨

  秋の夜や巨人優勝なんでなの

  秋の夜や阪神いったいどうしたの

  秋の夜や天下の静けさ独り占め

  秋の夜やこれから世界はどうなるの

  秋の夜や猫にゃさっぱり分からにゃい

  秋の夜や株価を騒ぐ株もなし

  秋の夜や蕪なら畑で育ちつつ

  秋の夜や株もないのに落ち着かず

  秋の夜や背なで聞いてる株情報

  秋の夜や世間にあわせてそわそわし

  秋の夜や株もないのにそわそわし


ほろほろと

2008年10月10日 | Weblog


 全くの素人ですので、どうなるのかそれこそ分からないのですが、このアメリカの経済状態が世界に波及して、これから世界はどのようになっていくのでしょうか。もう、すでにいくつかの会社が倒産しています。

 社員が一度のボーナスで、一般市民の30年分くらいの額を手にできるほど儲かっている会社もあったようです。それほどのボロ儲けをしていて、破綻に会社を追い込み、税金で助けてくれとは・・・。もっとも、助けないと社会が壊れてしまうかも知れないと言うので、アメリカの国会ももめているようです。まずは、それほどの給与を得ていた人からの財産の返還を一般市民が所有している財産程度まで落とす額までは要求すべきではないかと思います。

                  

 そういう中で、今回は4人もの日本人がノーベル賞受賞するというのは嬉しいことです。今回の経済破綻を救ってくれる人が出るとしたら、その人にもノーベル賞を与えて欲しいと思います。

                  

 手術後は、カット絆を一枚貼っておくだけくらいに傷口は納まりました。もう絆創膏は必用はないかもしれません。

 今日は友達が来て、ドライブに連れて行ってくれました。栃木県の芦野というところです。お寺の坊さんに知り合いがいるというので、その人に会いに行くので行かないかというので、行ってみました。

 お寺で用事を済ませた後に、近くにある遊行柳を案内してあげました。遊行柳については、
http://blog.goo.ne.jp/classic555/e/d394377b90ac62f8dd473c4e85b364c5 をご覧下さい。

 今回は 蕪村の句碑を加えてご紹介します。

 

    柳散
       清水涸
           石處ゝ    ( 柳散り水涸れ石所々 )


  蕪村の時は、ここは荒れていたんでしょうかね。


 

 黒豆です。そろそろ枝豆が出来る頃かなと思って、みんなでお遊戯しているかどうか、そーっと覗いてみてみました。←メダカの学校じゃあるまいし。 

 この黒豆は、葉ばかり茂っていて、今年はダメかなと思っていた物です。早々に刈り取ってしまおうかとも思っていました。ところが、なにやらサヤがたくさん下がっていて、実も膨らんでいるみたい。

 

 三本ばかり引き抜いてみました。すると、どうですか。丸々と太った実が生っているではありませんか。さっそく、今回は私が茹でました。

 
ゆでた時間はおよそ5分。ちょっと、時間が少なかったかなと思いましたが、上げて試食してみたらちょうど良い加減でした。塩を少々振りかけて食べてみたら、それこそ サイコー  においしかったんです。

 ダメだと思っていただけに、うれしさは倍加しました。あの茂り具合、あれで良かったんだ。このお皿二つ分ゆでてしまいました。しかし、ぺろっと食べてしまいました。よかったよかった。

 これは、詳しくは忘れましたが、たぶん5月中に蒔いて植えたものです。そこで迷句をひとつ。

      生らざれば生るまで待とう黒枝豆


 

                フクジンソウ


 一日一茶

   ほろほろとむかご落けり秋雨(あきのあめ)

 廃句

   ほろほろと木の葉の落ちる日は淋し 

   ほろほろと人が散りにし祭りあと 

   ほろほろと鳥啼く山の秋深し

   ほろほろと涙こぼれて立ち止まり

   ほろほろと食うは煎餅とろ火焼き  
 
   ほろほろと古き着物の頼りなさ 
     
   ほろほろで始まる廃句難儀する


二泊三日

2008年10月09日 | Weblog

 病院に二泊ほど泊まりに行ってきました。ご飯はまずくて量が少なく、お風呂はありませんでした。とんだ旅行でした。家にいるありがたさを再確認する旅でした。

 3月に手術をしたので、半年後の点検と、血管がまだ細い部分があったので、そこを広げる手術をしました。隣に寝ていたひとは、私が帰る頃は肺の手術だそうです。大変です。話を聞けば高校の先輩だそうで・・・。

 

 病院のちょっとした休憩するソファーのあったところに置いてあった活け花です。気に入ったので撮ってきました。ケイトウにホトトギス。木の枝は ボケ です。なにも病院にきてまで自分のことを言われなくたって・・・。


 

 なんと味気ないごはん。これは夕食でした。生野菜がたりない。全部撮ってきましたが、並べてもしかたない。まずさが倍加するようで・・・。それにしても、繋がれた年寄りです。  紐爺  ひもじい。皿やお盆まで食いたい。

 手術をしてくれた先生は若くてやさしく励ましてくれました。それにしても、午前中から、次から次へと手術をやってきたようで、私は午後一番のはずだったのですが、前の人の手術が長引きかなり待たされました。たぶん、先生は昼食は無かったのではないでしょうか。

 1時間40分くらいかかりました。腕の付け根のところだけカテーテルを差し込むのに麻酔をしただけなので、意識があるから変です。

 持っていった本は一冊読み終えました。そして二冊目に。となりの先輩 ー と言っても彼はもう70歳になりますが ー はよく話しかけてきましたが、違う世界を歩んできた人の話は楽しかったですね。

 

 トウガンだけは、はずすことなく毎年豊作です。こんなに、どうやって食べましょうか。

  一日一茶

    旅人の藪にはさみし稲穂哉(かな)

    旅人の垣根にはさむおち穂哉

     どうして藪にはさむのかわかりませんでしが、注にあった
     下の句を見たら分かりました。

  徒歩旅行( ハイク = 廃句 )

    旅人の頭に一つ赤とんぼ

    旅人と一緒に旅の赤とんぼ

    旅人と呼ばれてみたい時もある

    旅人に付いて行きたい秋の風

    旅人が連れて歩くは運命(さだめ)かな

    旅人は淋しからずや一人連れ

    旅人の背中に四文字同行一人

    旅人がつまずき転ぶ松の株

    旅人を包み隠すはすすき原

    旅人を追いかけてくる時雨哉

    旅人が雨やどりする軒端哉

    旅人を冷たく包む秋の雨

    旅人や浦の苫屋の秋の夕暮れ    

  ※ 一人の時には「連れ」とは言わないでしょうが、敢えて・・・。

雨の朝でした

2008年10月06日 | Weblog


 昨日は、久しぶりに野良仕事はしませんでした。やるべきことは、いくらでもあるんですけどね。日曜日ですから。安息日です。ですので、ウォーキングが出来ました。それでも予定した距離の半分しかできませんでした。鉈(なた)はあるし、鍋もあるんですけどね。(つまり鎌はない。釜はない。かまわない。)

 歩くと、いろいろなことを考えますね。思い詰めるような思考はできませんが、よく例えられる言い方を真似していいますと、いろいろな思いが走馬燈のように巡るものです。さまざまな不可能なことも含めて。

 仮に地球の大きさが今の1,000倍くらいあったとしたら、たぶんまだまだ知らない動植物があるのではないかとか、秘境の探検はまだまだ出来るでしょうし、比率からすると人間の大きさは蟻の大きさくらいになるんだろうな、なんて下らないことを考えたりしますね。お金になるようなことは、さっぱり思い浮かばないです。もっとも、あまり持つと今までの生活のリズムが変わりますから、ほどほどにあれば良いです。

 「星の王子さま」は、逆に小さな星に住んでいる王子さまの話です。今やっている何かのコマーシャルに、小さな緑の地球をぐるりと歩くシーンがありますね。


 

 奥さんの友達がパンを焼いてくれました。朝食にいただきました。とてもおいしかったです。米の消費が落ちていると言いますが、時にはこういう朝食も、何となく夢の世界に入ったような感じがして良いですね。普段は純和風的な朝食ですからね。

 奥さんは9月末で仕事を終えました。これからは日中に一人でいることがなくなり、淋しくなくなります。


 淋しさにたえたる人のまたもあれな
          いほりならべむ 冬の山里   西 行


 

 ナスはまだ出来ていますが、さすがに真夏のような勢いはなくなりました。もうそろそろ終わりですね。なにせ、暖房器具を使いたくなる時もあるこの頃ですからね。 

 今年は、病気にも見舞われず害虫の影響も受けずに、枝が折れないようにと手を立ててやったくらいで、その他はほとんど世話もせずに良く生ってくれました。友達にも篭一杯にして何度もやることができました。

 右手の方では「こんどは俺たちの番だ」なんて言いたそうな感じです。京都の別れですね。木屋町で別れました。木屋別・・・キャベツ。木屋町といえば、ナスはけっこう大きくなって高瀬川なんちゃって(高瀬川が流れています)。

 そんなダジャレはナス(無し)にして、話題を変えましょう。


 

 ほかの人に見られたら、おかしくなったのではないかと思われるでしょうが、時どき地面に横顔をつけることがあります。もし猫の大きさだとしたら、どういう風に景色が見えるだろうと思うからです。植木や野菜も草もすごく大きく見えますね。それが、蟻の目線だったらどんな風になるだろうなぁなんて思いますよ。暇ですね~~~。

 今日は雨の朝でした。昨晩から降り出してずっと降っていました。ですので、野良仕事は連休になりました。


 一日一茶

   秋風やのらくろ者のうしろ吹
          吹くは「く」という送り仮名はありませんでした

 廃句
   
   秋風や木の葉いちまい舞い上げて

   秋風や遠き思い出吹き寄せぬ

   秋風や涙ひとつぶほろり落ち

   秋風やごはんがうまいもういっぱい

   秋風や猫が背をまるめ背伸びする

   秋風やおにぎりの上に赤とんぼ

   秋風やコスモスの上とぶ赤とんぼ

   秋風やいつも変わらずコケコッコー

   秋風やビビッと沁みる虫歯かな

   秋風や一人さびしく日暮れどき

   秋風や何かが背をなですぎていく

   秋風や明日とあさって休みます


ウオーキング

2008年10月05日 | Weblog

 アメリカの作家に「日はまたのぼる」という名の作品がありましたが、毎日はこれの繰り返しです。今日も夜が明けて暮れました。一日分年を取ろうとしています。いま、私の後に猫のミーちゃんが寝ていますが、彼女も一日年をとることになります。朝は青空、夕は雨になりました。


 

 今朝は、前の田んぼにモヤがかかっていました。間もなく消えてなくなりました。見たら直ぐに撮らないとチャンスを逃します。この時は、まだ私の頭の中はモヤッとしていましたね。

 

 モヤの上は飛行機が飛んでいました。東から南西に向かって飛んでいきました。外国から来たのか、それとも北海道からか。

                   

 犬を連れてウォーキングに出かけました。7、000歩くらい歩きました。途中、同じ年の従兄弟の家によってお茶を一杯。すると、二つ上の人が夫婦で軽トラで通りがかり、私を見つけて一緒にお茶。するとまた、べつな二級上の人が通って、一緒にお茶。賑やかになりました。正(まさ)やんとか、秀やん、なんて呼んでいる人たちです。小さい頃からお互いに知っている人たちですね。楽しいね。

 

 檜の林の中に捨てられていました。捨てたのは間違いなく親でしょうね。自分の子供がこれに乗って大きくなったのに。  私には絶対に捨てられないですね。しかも、こういう所に。三輪車がかわいそうです。子供もかわいそうです。これに乗っていたのは、きっとかわいい女の子でしょうね。

    捨てられてなおまだかわいい三輪車


 

 この背の高い花は「仰げば尊し」の歌に出てきます。たぶん2mは越えているのではないかと思います。

  仰げば尊し 我が師の恩~  

           師の恩 → 師恩 → シオン(紫苑)

 一日一茶

   白露にまぎれ込んだる我家哉

 白露(廃句)

   白露にまぎれ込んだる我が車   びっしょり

   白露は悲しからずや露と消え   当たり前だ

   白露も朝の散歩にゃ迷惑ね    足が濡れる

   白露のような涙を流しけり    乙女の涙

   白露の草を踏みしめ野菜取り

   白露を玉と転がし遊ぶ芋

   白露のほろりと落ちる蛙の背

   白露に逆さに写る我が家かな


      

はくさい

2008年10月04日 | Weblog


 昨日の 復元 のことですが、今回は運が良かったので復元できました。質の悪いウィルスは復元程度では排除できないと思います。その時は、windows を入れ直さなければなければなりません。

                  

 この不景気の中、家電製品の新製品の展示会があって、かなりの人気なのだそうです。驚くことには、暑さが1mmも無いテレビがいくつも展示されているとか。各家電メーカーがしのぎを削って作ったものなんでしょうね。

 その薄いテレビは有機ELとかいう物質を使ったのだそうで、新製品はあったかどうか分かりませんが、この有機ELというのはフィルムのように薄く出来、しかも筒のように丸められると言うことです。

 こういうことが日本の企業によって開発されているという話を聞くと、ちょいと良い気分になります。まだまだ日本人は努力しているんだなと思えます。話は少し飛躍しますが、併せて貴重な技術を持つ町工場を何とか救えないものでしょうか。


                  

 

     間引き白菜です。ここまで大きくなりました~。

 

          こんな風にして食べました~。


 

 近所の犬です。首輪が大きすぎるのか、スッポ抜けて自由になった上に門扉があいていて、自由散歩をしてきたようです。わが家にのそっとやって来ました。大人しくて、やたら人なつっこいです。「お出で」と言ってその家に向かうとピタッと脇についてきました。そして、道路を渡って自分の家が見えると先に駆けていって、私を招き入れるような仕草をしているではありませんか。かわいいですね。

 今回のお客さんは犬でしたが、希に来る人は まれひと と言い、まろうど と言うようになりました。まろうど を漢字で書くと 客 です。キャクと発音するのは、中国語式の発音です。まろうど つまり まれひと は、古代の日本語です。つまり やまとことば です。今は、やまとことば ではなく、中国語式の発音(もちろん、ひどい日本語訛りなんでしょう)の語が多く使われています。

 ひどい日本語訛りになった元の音(おん)は、中国の古音・呉音・漢音・唐音などがあるということです。音によって読み方も違います。行 という漢字は、日本ではギョウとか、アン(行灯・行脚など)、コウなどあります。どれが呉音とか漢音とか私には区別ができません。そのようにいろいろな発音があるので漢字の読みは難しくなるのです。

 お経は、主に何音で発音しているんでしょうね。日本語式の発音じゃないので、意味がさっぱりわかりませんね。ギャテーギャテーなんて、何かが叫んでいるように聞こえます。

 犬のお客さんのことで、ふと思いついたので、知ったかぶりしてそんな話をしてしまいました。その程度しか知りませんけど。


 

 こんなに乱れて咲いているのに「秩序」という名前が付いているんですね。

                  

 一日一茶

  深川の屋敷も見へて秋寒き

 深川

  深川のこの句は一茶が作った句

  深川と言えば深川丼が好き

  深川と言えば芭蕉のゐたところ

  深川は奥の細道ふりだし地

  深川やこれから奥に三千里

  深川やそぞろの神にまた憑かれ

  深川や鳥啼き魚の目は涙

  深川や後に残しし芭蕉庵

  深川へ帰らぬ旅に踏み出しぬ  

  深川は上野・大阪の途中駅

       伊賀上野で生まれ大阪御堂筋で他界
       墓は大津の義仲寺

                      
                         義仲寺

  深川の対岸いつも渋滞ね   首都高速6号:いつも混んでいます
                箱崎がネック
                私がよく通るところです

  深川へ吉良の邸から散歩をし

  深川の博物館も一度は見
 
             


復元

2008年10月03日 | Weblog

 どういう訳か、変なセキュリティソフトがいつの間にかインストールされてしまったらしく、やたら危険なビールスが入り込んだというメッセージが出るようになってしまいました。

 そのソフトを排除しようと、いくら工夫してしても駆除できません。そのうちに、いじくっていたらインターネット・エクスプローラーが動かなくなってしまいました。一種のビールスなんでしょうか。

 これは大変。しばらく考えた末に、どうせなら買ったときの状態にウィンドウズを入れ直してしまおうと思いました。しかし、それを行うには勇気が要ります。いろいろなソフトをインストールしているし、プリンターやら複合プリンター、外付けのハードディスク、MO、その他諸々がパソコンにくっついていますので、それが全部パーになっちゃうんです。ドライバーとかソフトを入れ直しに半日以上はかかってしまいます。

                 

 そこで武蔵は考えた。←どうして武蔵なのか分からないのですが、よくそう言います。試しに考えてみました。もし、このパソコンを一週間くらい前の状態にできたら、そのじゃまなウィルスは無かったことになるんじゃないのかな? そんな虫のよいことを。でも、それでできればずっと楽だよ。と頭の中で独り言。

 やってみました。スタートをクリック → すべてのプログラム → アクセサリ → システムツール → システムの復元 これをクリックして、一週間くらい前の日にちに設定してクリック。そして数分。

  パンパカパ~~~~~~~~ン  出来ちゃったじゃないですか。何もかも大友柳太朗なのでした。やったぜベイビー。小躍りしてしまいましたよ。

           解決黒頭巾



 

 先日、奥さんのいない一人で食べるお昼。いたずらをしてみました。さつまいもの食べ残しがあったのです。それを少しのお湯に入れて潰し、牛乳を加えて煮る。そして、ベーコンを入れ、塩と胡椒。ただそれだけです。

 コンソメなどを入れるともっとおいしくなったのでしょうし、芋を少し油で炒めて見ると良かったのかもしれません。が、これだけでも結構おいしく食べられましたよ。油は控えていますからね。我流ポタージュでっす。また作ろう。

 

 大根です。今のところは順調。あとは抜いてみないと分かりません。枝分かれしたりスカスカだったりと心配はありますけどね。スカスカは困りますが、枝分かれは商品にするわけではないから、かまわないです。

 久米の仙人が落っこちるくらいのきれいな大根ができるといいなぁと夢見ています。

 

 自分の人生も復元出来ると良いなと思います。可能なら、数十年前にセットしたいです。クリック → クリック と行って・・・・。不可能でも、夢くらい見るのは良いじゃないですか。

  一日一茶

    夕月や流残りのきりぎりす

  夕月や

    夕月や芋の葉にむすぶ玉の露

    夕月やパソコン復帰であなうれし

    夕月や今日も元気でご飯がうまい

    夕月や麻生は「あ、そう」なんてもう言えない

    夕月や世の中あれこれみな忘れ

    夕月を横切って飛ぶ羽田行き

    夕月やこのへんにしてもう寝よう

おだ

2008年10月02日 | Weblog


 稲は、乾燥機にかけずに天日干しをして自然乾燥にする方がおいしい米になるのだそうです。その自然乾燥をさせるために、稲を棒にかけて乾かすのですが、そのかけるものを何というのでしょうか。

 私の地域では おだ と言います。どこから来た言葉なのか由来は分かりません。また、漢字も分かりません。漢字は無いのかも知れません。この おだ に相当する言葉はたくさんあるようです。何が標準語なのかはわかりませんが、稲木(いなき、いなぎ)と言うのが一般的なのでしょうか。私の地域ではその語はありません。つまり言わないです。そのほかに いなき(稲木、稲城)、いなばた(稲機)とも言うようです。

 その他、田茂木、稲棒というような語もあるようです。こういうのは、俳句の季語として使われるので、ニャンパルさんが詳しいでしょうね。


 
  これ、良い写真でしょう。私が撮ったんですよ。淋しい山田に
  木が少し紅葉(もみじ)して長いながい おだ が延びています。

 辞書によると、新潟、富山、福井、岐阜では はさがけ というそうです。漢字では 稲架 と書くようです。そのまま読んで とうか とも言うとか。言わないのかな。 おだ は、茨城、千葉で言うそうです。稲を おだ に架けるので おだがけ と言います。

 

 虫にやられたブロッコリーです。怠けていると、こういうことになります。モンシロチョウの幼虫がいました。この頃は、モンシロチョウを虫取り網で捕ることがあります。捕ってもとってもやってくるんです。

 このブロッコにはウィンクが付いていることがあります。ふつうのではなくて、ブロッコやキャベツなどに付くのは土の中に暮らしているものです。これは以前は居ませんでした。どこからか来たのです。宇宙の果てからきたのでしょうか。茶色で、小型で、山高です。

 家(うち)にくるベートーベンの奥さんは、たくさんいたので土に埋めたんだそうです。そりゃだめですね。駆除にならない。喜ばれるだけです。

 久しぶりに 補)

    ウィンク = かたつむり
    ベートーベン作曲 → 第九交響曲 → 大工
    

 

 ところが近ごろでは、この おだがけ した米と変わらないおいしさのものが乾燥機で出来るのだそうです。マイコンの技術でもって、最初はチョロチョロで中パッパじゃないですが、そういうような温度を調節して、自然乾燥に近い状態にコントロール出来るのだそうです。さすが日本の技術。すごいですね。

 おだがけ をしているのを見ると、「あ、これは自分ち(家)で食べるものだな。」なんて思ったりします。狭い山田に作っているもの以外のものは、たいていはそうなんでしょうね。

 米つくってみたいな~~。水がなんとかなれば・・・・。

 
 一日一茶

   蕣(あさがほ)やたぢろぎもせず刀禰(とね)の水

         利根川の洪水の時の句だそうです

    この 蕣(あさがほ) という語なのですが、私は浅学で
    分からないのですが、あさがお という語はムクゲ(木槿)の
    別称でもあるそうなのです。蕣 という文字の意味を調べると
    むくげ と書いてありますので、この場合には朝顔ではなくて
    ムクゲなのかなと思いますが、はたして正解は??


日本から村がなくなるかも

2008年10月01日 | Weblog

 九州では大雨があったそうですが、私の地域では普通の雨でした。九州の方々、毎年まいとし本当にたいへんですね。

 台風の直撃がない今年は不気味だと新聞のタイトルに出ていましたが、いつも直撃して欲しくない。直撃のないのが普通になって欲しいですが、自然の原理からして無理なのでしょうね。もし、仮にもそうなったときには地球環境そのものが大きく変わってしまうということになると思います。それは困ります。

 台湾の北あたりまでは北上していって、そこからは急に東に向くんですね。あれは北緯何度あたりなのか、そのあたりが偏西風の吹いているところなんでしょうか。

                  

 さてまた、ある本を読んでいたところ、現在はどんどん村が消滅していって、市ばかりふえているのだとか。自分の住む所は市であった方が聞こえが良いからでしょうね。村というと馬鹿にされるような気がするんでしょうか。そういうことがあってはならないと思いますが。

 その村が一つもない県は13もあるのだそうです。どうせ自由なブログですから、おっとこれは家庭菜園と謳っているブログでもあるのですが、挙げてみますと、栃木、静岡、石川、福井、三重、滋賀、兵庫、広島、山口、香川、愛媛、佐賀、それに長崎だそうです。

 私の茨城にはまだあります。それどころか村が良いのだと言っている所さえあります。それは東海村です。日本に村が消えても、この村だけは残りそうな気がするのですが、さてそうなるとどうなりますか。

 名前は町となっていても、「え? どこに町があるの?」と聞きたいような所もありますね。これからは市でさえもそうなるかも。先々のことは私は市りません。人の心も村(むら斑)ですから、名前の付け方も町々(区々)です。


 

 水菜です(ミズナという名前を思い出すのに数分かかりました。どうもこの頃は脳の回路に電気が流れるのがうまくないみたいです。ナショナルもパナソニックになったとか。関係ないですね。電気で思い出しました。)。心なしか、だらんとしているような感じがしないでもないですが。時期がまだ適切でないのかも知れません。


 

 モロッコインゲンです。今頃できました。豪雨で豆の手が潰されてしまったのですが、なんとか持ち上げて修復しました。まだ食べていませんが、何か固そうな感じがします。

 来年は豆の手は倒されないようなものを考えなければなりません。今年は台風が来ないのでなんとか立っていますが、それでもホドイモの手は豪雨の時にやられて、一部はツルが土のところからむしり取られてしまいました。柔らかい土に棒を差し込むので、倒れやすいことも確かなのですが。

 

 リュウキュウ朝顔がついに柿の木にはい上がってきました。どこまで行くか見ものです。元気ですね。ツルを取って挿し芽をしてみましたが、100%つきますね。それより、地べたに這ったツルに土を被せてみたのですが、それはどうなっているかまだ確かめていません。その方が楽です。
 

  おしなべて物を思はぬ人にさへ
           心をつくる秋の初風  西行

  小倉山麓の野辺のはな薄(すすき)
           ほのかに見ゆる秋の夕暮  読人知らず


 ※ 昨日つくりすぎたので、今日は駄作の羅列はやめます。
   何か気分的に二日酔いのような・・・。