世の終わり、即ち世紀末の足掻きが今日の様々な諸相に現れていると言おうか、偉そうに批評家ぶって言える身ではないけれど、下々から御大まで狂いまくっている。当然と言えば当然の現象だと思うのは、人間のなせる業が地球環境の悪化を伴って、便利で快適なはずの文化生活が、無残にも自らの首を締め付ける反作用に陥っているからだ。便利さはさらに良い物の発明を促し、それで終わることがない。欲求を満たすためには際限のない欲望が私たちを取り巻いていて、欲望のままに地球環境も破壊してきた。地球も病んでいる。人間の知恵が地球を傷めたのか、それとも地球が病んだから人間も劣化したのか、それらは絡み合って連鎖反応を起こしているようにも見える。時代とともに負のスパイラルとなって悪循環を伴ってきた。科学の進歩は夢色ばかりではない、逆行することもあるのだと、ここまで記してプーチン、ネタニヤフ、金正恩、シリアのアサド、トランプ等々の顔が都庁の壁面に映し出されたゴジラの姿とダブって、我の大脳皮質にマッピングされた。
人間は便利さを求めて様々な物を発明し、商品化して発展してきたけれど、便利さの裏では環境を破壊する両面があって、人間社会の生きづらさも生産しているようだ。
人間は便利さを求めて様々な物を発明し、商品化して発展してきたけれど、便利さの裏では環境を破壊する両面があって、人間社会の生きづらさも生産しているようだ。