conparu blog

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古代をかじる その2

2013-10-13 18:01:01 | 随想

 日本列島への民族移動が始まる前に、南方洋や大陸北方から個々に渡来し、移住した原住民がいた。蝦夷や熊襲となる元祖だろう。
アジアの広範囲から人類の移動軌跡があり、足跡は西から東へと続いてきた。
人類はアフリカに始まると言い、シナイ半島からそれぞれの方向へと散って行ったようだ。旧約聖書の『出エジプト記』には、モーセが十二の氏族を脱出させたとある。
そのうちの十支族の行方は記録に残っているが、残る二支族については

わかっていない。主族たるセム族がその一つでる。

日本人の中にはユダヤ系の血が流れている、という説もあるが、アメリカ人の中にも同じように感じている人がいるそうだ。東西の末端に位置する両国は、ある意味で人種のるつぼであり、行き止まりの地であるから完全に否定はできないだろう。

それは兎もかく古代大陸での歴史的戦いに敗れた者や、別天地を求めて東進する子孫もいただろうから、海の向こうは夢を育んだ日本列島ということになる。

紀元前後あたりから少し後に、中国南方や朝鮮半島からまとまった人数の氏族が日本列島に流れてくる。出雲族がその代表である。

研究者ではない一般の歴史愛好家としては、大まかな時代の流れを追うだけで細かいところまでは及ばないのであるが、その中でも大和朝廷の成立時の過程が、研究者によって諸説に分かれているところが最も掴みにくい。
自分なりにも固め切れないところがある。


出雲族は早い段階から王国を築き、北九州から大和地域を支配していた。
島根県の出雲大社は大国主命を祭る「御国魂神社」であり、出雲族の本拠地である。
大国主命は柔和で信に厚く、北陸を含めた広範囲の王たちを支配する大王であった。部族内で多少の諍いもあったと思うが、おおよそ平穏な時代を築いていたのだろう。

このような状況のもとで事代主命の時代になった。
ある時一人の青年が事代主の前に現れ、気に入られて娘婿になる。
一説には大国主命の娘婿になったとあるが、どちらが正しいのだろう。
この時代に気に入られるとは、余程の背景が確認できなければあり得ないことで、単に人品がよいというだけでなく部族の誰それと名乗ってのことであろう。


その青年は「饒速日」(にぎはやひ)といって天孫族の王子であった。古事記には『五部族の神族を伴って降臨した』とあるから様子見の先遣隊ではなかったかと思う。ところが入婿となって御炊屋姫との間に宇摩志麻治命が生まれ、出雲の同族となってしまった。
天孫族の本拠地九州では、三年たっても饒速日から何の連絡もないので(二次隊の)瓊瓊杵命(ににぎのみこと)を送った、と云うのだが、腑に落ちないのは饒速日に随って行った五部族が何も語っていないことである。
 
                  

     
            饒速日命と瓊瓊杵命の関係

                
          
 

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