conparu blog

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古代をかじる 序 

2013-10-08 22:35:52 | 随想

坩堝(るつぼ)に入れられてあらゆるものが混交し、半ば熔解しているような
変容した情況にあるのかな、しかも中途半端で進行するモヤモヤ感はモノが煮えそうで、いつまで経っても煮えないもどかしさが付いてくる。

あらゆる情勢がそんな状況にあると、漠然とひっくるめておこう。
こんな状況下で今、古事記に登場する古代大和民族の足跡を、ネットの資料から学んでみようと思い立った。
こんなことを言うと、学術的な大問題を軽々しくも曲解に結びつけるな…と怒られそうである。
もちろん曲解するほどの研究心もなく、ひたすら文献を鵜呑みにするだけの古代散策人なのです。

幸いにもネットには検索によるたくさんの文献が提示されます。
中でも宝賀寿男編著『日本古代史一般』は扱う項目も多く、長編だが素直に理解できた。
古事記を読んでもなかなか筋を掴めないところがあるので、大研究者の解説は霧が晴れたように明快なところがあって心強い。
著者の略歴を読むと、国税局の調査部長時代に書き表したというから面白い。

私は古事記を開くまでは海神(わだつみ)族とか山祗(やまつみ)族とか天孫族とかの古代氏族の分類を知らなかった。
それぞれの部族が年代を追って日本列島に渡来して、勢力圏を築いたところで抗争が始まる。日本列島に渡来した民族もいろいろで、早いうちから南方のミクロネシアや東南アジア、あるいは北方の大陸からやってきた原始渡来民族――狩猟、漁労、焼畑農をしていた山祗族は縄文人の主体を構成した。

紀元前3~2世紀頃に大陸から朝鮮半島を経て渡来し、九州北部の筑前肥前沿岸部に定住した海神族。航海術に長け、水稲耕作や青銅器を利用した弥生文化前期を構成した。大巳貴尊―大国主命を祖とする出雲系である。

もう一つは紀元1世紀代頃に、やはり大陸から朝鮮半島を経て九州は佐賀平野を移動して現在の久留米市域に定住した、鉄器文化を持つ天孫族。百済や扶余や新羅の王朝とも関わりがあるらしい。天照大神を祖とし、神武天皇東征はこの部族から分かれた新興集団の開拓史となる。

これらの大まかな部族集団が抗争を繰り広げて血に染まる――のが日本の歴史。

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