conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
[ブックマーク『conparuの白い航跡』もよろしく]

古代をかじる その3再

2014-10-23 19:08:51 | 随想
 
古代をかじる その3

饒速日が大物主の娘、御炊屋姫と結ばれて出雲族の婿となったまま居ついてしまったわけだが、ここに来るまでの経緯をもう一度古事記の初めごろに戻って辿ってみよう。高天原の天照大神と高木の神...
 

        饒速日と瓊々杵の出雲への関わり
                   
                   
  

高天原の天照大神は出雲を平定すべく、諸々の神と話し合っている。御子の若日子(天津彦根命)を出雲討伐に向かわせたが失敗したので、次に誰を送るか協議しているのである。

決まったのが太子の天忍穂耳命(あめのおしおみみのみこと)であったが、命は願い出て子の「天日矛瓊々杵命」(あめのひほこににぎのみこと)を送りだした。

別の項ではアメノヲハバリ神の子タケミカヅチを遣わしたとある。神の子を被せたのは天孫族の伝承的な武神信仰が背景にあるのかも知れない。
瓊々杵命が出雲征討に赴くまでに出雲では新たな事態が起こっていた。若日子の孫である饒速日(にぎはやひ)が出雲族長(事代主)の妹、御炊屋姫(おすいやひめ)と結婚して宇摩志麻治(うましまじ)を産んでいたのである。

瓊々杵命は出雲に赴いた時にこのことを知ることとなる。太子の子として天孫族王の直系である瓊々杵は饒速日に対して降伏するように説得した。饒速日は宇摩志麻治とともに瓊々杵の軍門に下って、抵抗する健御名方(たけみなかた=長髄彦と同人か)を諏訪に追い詰めて滅ぼした。

出雲族と天孫族の血を引く宇摩志麻治は物部氏の祖となり、その子孫は大和朝廷の重要な構成員となる。天孫族の本拠地は邪馬台国から大和へ移り、念願であった内陸の安全地帯に都を築くことができたのである。
瓊々杵命が出雲を平定してからその子、彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)その子、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)=神武天皇の代になって、大和の地に連綿と日本の歴史が刻まれていくのである。紀元2世紀ごろの夜明けである。《初代神武天皇》

コメント