昨夜は寝る前に花粉症をこじらせた時に頼りにしている抗生剤を一錠飲んで寝たところ、とりあえず具合は「悪くない」程度にまで改善しました。薬で改善できるのはここまでで、ここからは無理せずよく食べよく寝て体力の回復に勤しむよりありません。まあそうも言っていられない日常ではありますが、なるべく無理だけは避けようと心がけてしばらく過ごすことにします。
さて、普賢岳の情報は日がたち、詳しく判ってくるに従い悪化してくるばかりです。恐らく我が国で最悪クラスの火山災害として、後世語り継がれることになるのでしょう。火山と地震の島である我が国では避けがたい運命的なものもありますが、今回の災害はひょっとしたら避け得たのではないか、という未練がどうしても残ります。少なくとも危険を軽視して最善を尽くしていなかった、あるいは尽くそうとしなかったのが、このような形できっちり跳ね返ってくるのですから恐ろしいことです。
それにしても、消防や警察の方々の尽力にも頭が下がりますが、やはりこういう時の自衛隊は実に頼もしいものです。少しでも人員の安全性を高めるために、火山灰が降り積もった悪路も安定して走ることができ、ある程度の火山弾をはじき、亜硫酸ガス対策もバッチリな装甲車両を投入できるのですから、まさに現代版サンダーバードと言っても過言ではないでしょう。ところがジャーナリスト江川紹子氏はそのような自衛隊の活躍がお気に召さないようで、装甲車投入を「火砕流には対抗できない」と切り捨てているのだとか。この人、ひょっとして馬鹿なんじゃないだろうか? とその一連のツイッターでの発言を読んで思ってしまいましたが、火砕流に対抗できなければ救助出来ないというのなら、生身で限界に挑戦している消防や警察の方々も当然救助など危なくてできないわけですし、要するに救助するな、つまりみんな見殺しにしろ、と言っているに等しいことを理解されているのでしょうか? 相手は大自然の中でもヒトが太刀打ちしかねる力の一つ、火山噴火のことですから、たとえ装甲車でも対応できないような極限状態も確かにあるでしょう。しかし、逆に言えばその極限状態の一歩手前までは装甲車で対応可能なわけで、生身の人間よりも装甲車の方がはるかにギリギリまで極限を極めることが出来ます。人力だけでは絶対に助けられない命を装甲車なら助けられる可能性が著しく上がるのです。ならば、その投入に何をためらう必要があるのでしょう? 色々おかしな事は世の中にあふれていますが、これほどおかしな言動はそうそう見ることは出来ないような気がします。
さて、普賢岳の情報は日がたち、詳しく判ってくるに従い悪化してくるばかりです。恐らく我が国で最悪クラスの火山災害として、後世語り継がれることになるのでしょう。火山と地震の島である我が国では避けがたい運命的なものもありますが、今回の災害はひょっとしたら避け得たのではないか、という未練がどうしても残ります。少なくとも危険を軽視して最善を尽くしていなかった、あるいは尽くそうとしなかったのが、このような形できっちり跳ね返ってくるのですから恐ろしいことです。
それにしても、消防や警察の方々の尽力にも頭が下がりますが、やはりこういう時の自衛隊は実に頼もしいものです。少しでも人員の安全性を高めるために、火山灰が降り積もった悪路も安定して走ることができ、ある程度の火山弾をはじき、亜硫酸ガス対策もバッチリな装甲車両を投入できるのですから、まさに現代版サンダーバードと言っても過言ではないでしょう。ところがジャーナリスト江川紹子氏はそのような自衛隊の活躍がお気に召さないようで、装甲車投入を「火砕流には対抗できない」と切り捨てているのだとか。この人、ひょっとして馬鹿なんじゃないだろうか? とその一連のツイッターでの発言を読んで思ってしまいましたが、火砕流に対抗できなければ救助出来ないというのなら、生身で限界に挑戦している消防や警察の方々も当然救助など危なくてできないわけですし、要するに救助するな、つまりみんな見殺しにしろ、と言っているに等しいことを理解されているのでしょうか? 相手は大自然の中でもヒトが太刀打ちしかねる力の一つ、火山噴火のことですから、たとえ装甲車でも対応できないような極限状態も確かにあるでしょう。しかし、逆に言えばその極限状態の一歩手前までは装甲車で対応可能なわけで、生身の人間よりも装甲車の方がはるかにギリギリまで極限を極めることが出来ます。人力だけでは絶対に助けられない命を装甲車なら助けられる可能性が著しく上がるのです。ならば、その投入に何をためらう必要があるのでしょう? 色々おかしな事は世の中にあふれていますが、これほどおかしな言動はそうそう見ることは出来ないような気がします。