マツダワークスドライバーであった片山義美氏が亡くなられました。。。享年75才
気さくで何処にでも居るような近所のおんちゃんみたいな出で立ち。
しかし、世界は彼のことを「日本刀が抜き身で立っているようだ」と評した。
彼のエピソードは数多く残る。
ヤマハ2輪ワークスライダー時代のエースライダー伊藤との確執。結果、スズキワークスへの移籍。
マン島TTでのドリフト走行に、日本人として初めてハングオフを取り入れた等々・・・。
面白いのが、欧州の耐久チームが「片山」と契約したいと人を介して交渉したところ、その仲介人が
「片山右京」のことと勘違いして、そのまま「片山右京」が契約したとか。
マツダワークスドライバーとして宿敵の日産GTRとの戦いを数多く演じ、日産ワークスの撤退まで追い込む。
トヨタワークスからの高額な金額提示による引き抜きにも応じず、マツダのワークスドライバーとしてレース人生を
全うした「片山義美」。
最後に引退後の2003年、富士スピードウェイを「天使の叫び」とまで称されたロータリーエンジンサウンド
名機「マツダ787B」を駆る片山義美のオンボード映像をおおくりして、心よりお冥福をお祈りいたします。