「種子島に鉄砲伝来」なんて言うと昔、歴史で習ったのですがその後、日本でどのような場所で
どのように作られていたのかは習ってない・・・依って知らない(知らなかった)。
しかし、この日(もう一月ほど前ですが)国内3ケ所が有名どころと言われ、その内の1ケ所がお隣の
滋賀県「国友」であることを初めて知ることに。。。(たまたまですが・・・)
「国友鉄砲の里資料館」
内部には貴重な細筒・中筒・大筒等の「国友鉄砲」が展示されている。
実際の「火縄銃(細筒)レプリカ」に触れることも出来るのですが、その重さに「びっくりぽん」で、よくもまぁ~
当時は現代人より小柄だった筈なのに、持っては走り構えては打てたもんだと感心する。
江戸期に入り、戦がなくなると装飾系へ移行した凝った銃も展示されている。
資料館を出ると目の前は「旧・北国街道」。この辺りには当時、最盛期で70軒もの「鍛冶屋」が有ったらしい。
銃身を作る「鍛冶師」に銃床を作る「台師」、それに引金や火ばさみを作る「金具師」と3人が1挺の銃を作る分業型。
これらの職人を合せ500人を超す職人が居たとされる「国友」。
側溝のグレーチング蓋も流石に鉄砲であったり、通りには鍛冶師の作であろうモニュメントがあったり。
そして不思議なのは、この辺りの住人のほとんどの苗字が「国友さん」。
まぁ、昔であれば「屋号」で呼べば済むことなので、今でも「屋号」で呼ぶのかも知れません。
後、ここ「国友」は鉄砲以外にも科学者の「国友一貫斎」も有名。
「反射望遠鏡」を作り、太陽の黒点観測図に月面観測図、金、木、土星の観測図などを記録した偉人です。
先日の「座禅草」といい、近場のお隣「滋賀県」は、今まで知らなかったことを学習出来て何かと面白い。
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