Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ウィーン:ダフネ

2011年12月27日 | 音楽
 リヒャルト・シュトラウスの「ダフネ」。演出はニコラ・ジョエル(現パリ・オペラ座総支配人)。これは2004年6月のプレミエだ。

 舞台は古色蒼然とした豪邸の室内。中央に寝椅子がある。ダフネがまどろんでいる。左にはアポロ像、右にはディオニソス像。アポロ像の下にはアポロその人(というか、神アポロ)がうずくまっている。どうやらいつもダフネを見ているうちに、恋わずらいをしてしまったらしい。寝椅子の向こうには巨大な窓がある。その窓からロイキッポスが現れ、ダフネに求愛する。心中穏やかではないアポロ。

 ドラマは主として窓の向こうで進行する。客席から観ると、舞台のプロセニアム・アーチと窓枠との二重の額縁が存在する。時々なにかの拍子に窓枠のこちら側にはみ出すことがあるが、基本的には二重の額縁のなかだ。これがだんだんまだるっこしくなった。

 最後のダフネの変容では、ダフネが窓の向こうの大木のなかに包み込まれ、姿が見えなくなる。アポロは空っぽの寝椅子を見て悄然とする。これは夢ではない。少なくともアポロにとっては現実に起こったことだ。

 けれども、だからどうなのだ、という気がしないでもなかった。

 わたしは東京二期会の「カプリッチョ」を思い出した(ジョエル・ローウェルス演出)。あの演出はその作品が作られた時代がどういう時代だったかを視覚化する演出だった。「ダフネ」も、「カプリッチョ」と同じように、時代にたいして反語的な性格をもつ作品だ。必ずしもそれをストレートに表現しなくてもよいが、まったく問題意識がないのも物足りなかった。

 アポロはヨハン・ボータ、ロイキッポスはミヒャエル・シャーデ。この二人の競演は世界最高クラスだ。ここまでいってしまうと、実は演出などどうでもよいという気になる。ダフネはミーガン・マリー。だんだん調子を上げていって、最後の長大なアリアでは聴衆を惹きつけた。ペナイオスのゲオルグ・ツッペンフェルト、ゲアのエリザベト・クルマンも申し分なかった。

 シモーネ・ヤングの指揮は初めて聴いた。オーケストラがよく鳴り、情熱的でドラマティックな、ドイツの巨匠風の指揮だ。いうまでもなく女性指揮者だが、音楽的なアイデンティティは男性だ。わたしはハンブルク・フィルを振った一連のブルックナーの交響曲の初稿のCDを愛聴しているが、生は印象が相当ちがった。
(2011.12.19.ウィーン国立歌劇場)
コメント (2)
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