オペラの感想の前に、雑感を。
往きの飛行機はガラガラだったので、ゆっくり眠れました。お陰でウィーンに着いた時には元気だったので、ホテルにチュックインしたその足でコンサートに出かけました。ムジークフェラインの大ホールでバッハの「クリスマス・オラトリオ」(第1部~第3部と第6部)の演奏会です。演奏はシュテファン大聖堂のオーケストラと合唱団。これが思いがけずよかった! 合唱団はプロではないかもしれませんが、身体を波のように揺らして、音楽する喜びに溢れていました。音程もリズムもバランスも立派なもの。オーケストラはピリオド楽器で、歯切れがよく、こちらはプロかもしれません。指揮はシュテファン大聖堂のカペルマイスターのMarkus Landerer。
この演奏には、バッハの音楽は自分たちのもの、という雰囲気がありました。言葉がドイツ語、つまり自分たちの言語であることもその一因だと思います。それが羨ましかった、というのが率直な感想です。
翌日からは、午前中は美術館に行って、昼食後、早めにホテルに戻り、身体を休めて夜のオペラに備える、といういつものパターンを繰り返しました。なので、訪れた美術館は3か所だけ。これが実に辛いところです。今回行ったのは、美術史美術館とレオポルド美術館とベルヴェデーレ宮殿。ほかにも行きたい美術館があったので、夜のオペラがなければ、はしごをしたいところでした。
美術史美術館の層の厚さはあらためていうまでもないですね。今回も圧倒されました。
レオポルド美術館ではリヒャルト・ゲルストル(1883~1908)の作品に出会いました。遠い彼方から蘇ってきた記憶によると――シェーンベルクの若い友人で画家だったゲルストルは、シェーンベルクの妻マティルデと深い関係になって、シェーンベルクは苦悩し、ゲルストルは自殺しました。展示室では、その頃作曲された弦楽四重奏曲第2番が、ヘッドフォンで聴けるようになっていました。ゲルストルの自画像を観ながら聴いていると、息詰まるような気がしました。パネルには、シェーンベルクが書いたもっともエモーショナルな曲、と書いてありました。
ベルヴェデーレ宮殿の帰りに乗ったトラムはハイリゲンシュタット方面行きでした。そういえば、ハイリゲンシュタットには行ったことがありません。せっかく何度かウィーンに来ているのに、行ったことがないとは、なんと怠慢なことでしょう。
往きの飛行機はガラガラだったので、ゆっくり眠れました。お陰でウィーンに着いた時には元気だったので、ホテルにチュックインしたその足でコンサートに出かけました。ムジークフェラインの大ホールでバッハの「クリスマス・オラトリオ」(第1部~第3部と第6部)の演奏会です。演奏はシュテファン大聖堂のオーケストラと合唱団。これが思いがけずよかった! 合唱団はプロではないかもしれませんが、身体を波のように揺らして、音楽する喜びに溢れていました。音程もリズムもバランスも立派なもの。オーケストラはピリオド楽器で、歯切れがよく、こちらはプロかもしれません。指揮はシュテファン大聖堂のカペルマイスターのMarkus Landerer。
この演奏には、バッハの音楽は自分たちのもの、という雰囲気がありました。言葉がドイツ語、つまり自分たちの言語であることもその一因だと思います。それが羨ましかった、というのが率直な感想です。
翌日からは、午前中は美術館に行って、昼食後、早めにホテルに戻り、身体を休めて夜のオペラに備える、といういつものパターンを繰り返しました。なので、訪れた美術館は3か所だけ。これが実に辛いところです。今回行ったのは、美術史美術館とレオポルド美術館とベルヴェデーレ宮殿。ほかにも行きたい美術館があったので、夜のオペラがなければ、はしごをしたいところでした。
美術史美術館の層の厚さはあらためていうまでもないですね。今回も圧倒されました。
レオポルド美術館ではリヒャルト・ゲルストル(1883~1908)の作品に出会いました。遠い彼方から蘇ってきた記憶によると――シェーンベルクの若い友人で画家だったゲルストルは、シェーンベルクの妻マティルデと深い関係になって、シェーンベルクは苦悩し、ゲルストルは自殺しました。展示室では、その頃作曲された弦楽四重奏曲第2番が、ヘッドフォンで聴けるようになっていました。ゲルストルの自画像を観ながら聴いていると、息詰まるような気がしました。パネルには、シェーンベルクが書いたもっともエモーショナルな曲、と書いてありました。
ベルヴェデーレ宮殿の帰りに乗ったトラムはハイリゲンシュタット方面行きでした。そういえば、ハイリゲンシュタットには行ったことがありません。せっかく何度かウィーンに来ているのに、行ったことがないとは、なんと怠慢なことでしょう。