Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パーマ屋スミレ

2012年03月06日 | 演劇
 鄭義信(チョン・ウィシン)の新作「パーマ屋スミレ」が初日を開けた。在日コリアンの戦後史シリーズ第3作。第1作の「たとえば野に咲く花のように」、第2作の「焼肉ドラゴン」に引き続き、これも笑いあり、涙ありの楽しい芝居だ。

 本作は1963年(昭和38年)に起きた三井三池炭鉱の爆発事故を題材にしている。その事故では458人が亡くなった。そのうち爆死はわずか5人で、残りの453人はCO(一酸化炭素)中毒死だった。さらに839人がCO中毒患者になった。

 CO中毒患者839人の苦しみがどういうものだったか。それは本作で描かれている。記憶を失い、人格が変わり、幼児に退行し、家族に暴力をふるい、苦しみで七転八倒し、四肢がマヒし、生きる意欲を失い――。その症状や程度は人によってさまざまだが、本人の苦しみ、そしてそのような夫をもつ妻たちの苦しみは測り知れない。

 このような悲惨なことが、1963年(東京オリンピックの前年)に起きたわけだ。もちろん大々的に報道された。でもやがて東京オリンピックの明るい話題にかき消された。当時中学1年生だったわたしは、マラソンの応援に行き、アベベや円谷に声援を送った。申し訳ないことだが、CO中毒患者の苦しみは知らずにいた。

 「パーマ屋スミレ」はCO中毒患者の夫や組合幹部の愛人をもつ3人姉妹の物語だ。長女(根岸季衣)と次女(南果歩)は、明るく、たくましく生きていく。三女(星野園美)も明るく、たくましいのだが、苦しみを抱えきれなくなる。その下降線には涙を誘われる。

 結局は、国からも、会社からも、そして組合からも、厄介者扱いされ、切り捨てられていく庶民たち。この国はいつもそうだった。そして今もそうだ。なにも変わっていない、と思った。本作では会社相手に訴訟を起こした次女が、組合から排除される。悲しいことだが、現実だ。

 鄭義信は「記録する演劇」を標榜している。本作はその好例だ。CO中毒患者とその妻たちの苦しみは、今も続いている。でもそういう人たちがいること――いたこと――は、忘れられている。それを思い出させることは、芝居の大事な機能だ。

 ストーリーテラーとして、長女の息子、大吉が登場する。大吉は、高度成長からバブル経済を経て、今の時代を生きている。本作は大吉の回想の形で進行する。そこに醸し出されるノスタルジックな味わいは、昨年上演されたソーントン・ワイルダーの「わが町」に通じるものがあった。
(2012.3.5.新国立劇場小劇場)
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