Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

あれから1年

2012年03月10日 | 身辺雑記
 あれから1年。月日は一回りして、またあの日が戻ってくる。人々の感情――家族を失った人、生活の立て直しがままならない人、故郷に住めなくなって流浪の生活を余儀なくされている人――それらの人々のさまざまな感情を呑み込んで、あの日が戻ってくる。

 今、日本中のすべての人は、同じ想いであの日を迎えようとしているだろう。その想いが静かにこの列島を覆いますように。もう言葉はいらない。無言の想いだけでいい。できることならその想いがこの列島を覆い、1年前のあの日に命を落とした多くの人々の無念の想いに拮抗しますように。

 できることならその日だけは、励ましの言葉が沈黙し、つらい気持ちを抱えている人々の傍らにそっと静かに佇みますように。つらい気持ちのそのつらさを、共にみずからのうちに抱え込み、そのつらさに耐えようとしますように。

 もう音楽もいらない。レクイエムやミサ曲や、その他のそれに相応しいあれこれの曲を聴いて、自分の気持ちを紛らわすことはやめよう。静かに風の音や木々のそよぎに耳を澄まそう。1年前のあの日の後に、わたしの感性は壊れてしまい、音楽はわたしのなかに入ってこなかった。それから徐々に、少しずつ、わたしの感性は修復された。けれども今は1年前のあの日に戻ろう。

 1年前のあの日を境に――逆説的なことだけれど――わたしたちは人間性を回復した。けれどもそれは長くは続かなかった。驚くほどの募金が集まった。けれども募金の行為に収斂して、気持ち(=生活)は元に戻っていった。

 今でもそうかもしれないが、被災者を励ます声――まるで競うように気のきいた言葉を考えだして励ます声――が巷にあふれた。わたしはそれに疲れてしまった。ラジオのアナウンサーが(わたしはテレビを見ない生活をしている。もっぱらラジオの生活だ)そのような声を読みあげても、わたしの耳には入ってこなくなった。

 そして原発問題。人々の関心は飛躍的に高まり、広がったけれども――そして市民参加型の集会も開かれているけれども――、威圧的にそれを封じ込めようとする勢力も衰えていない。わたしの周囲にもいて、びっくりすることがある。

 1年という期間はそれなりに長かった。だからこの機会にもう一度思い出してみたい。1年前のあの日に言いようのない喪失感に打ちのめされたことを。わたしたちはそのなかでなにかを学んだはずだ。それはなんだったのか。
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