Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

スクロヴァチェフスキ/読響

2012年03月08日 | 音楽
 読響の3月の各公演はスクロヴァチェフスキの客演だ。スクロヴァチェフスキは1923年10月3日生まれ。現在88歳。昨日は定期演奏会があったが、まだまだ元気だ。失礼ながら、同響のアルブレヒトやN響のプレヴィンには衰えが見られる。それに比べて、スクロヴァチェフスキは現役の気概を失っていない。

 1曲目はショスタコーヴィチの交響曲第1番。スクロヴァチェフスキは以前から、ブルックナーでは凝りに凝った演奏をするが、ショスタコーヴィチではストレートな演奏をする。交響曲第11番は希代の名演だった。第10番もよかった。

 今回は第1番。この曲の、過大でもなく、過小でもない、スコアをあるがままに、正しく鳴らした演奏。スコアの骨格がしっかりしているので、大きな構えの音楽になる。ショスタコーヴィチのあらゆる要素――たとえば才気煥発な躁状態とか、グロテスクな変形とかを含めて――をバランスよく構成している。

 一番感心したのは、加齢にともなうテンポの遅れが感じられないことだった。どんなに元気な人でも、このくらいの年になると、テンポは遅くなるのが一般的だ。それが見られないのは、それだけでも感心するに足る。

 あえていうと、実は一種の硬直性を感じた。これは年齢によるものかと訝った。だがそうではなかった。2曲目のブルックナーの交響曲第3番になると、リズムは柔軟性に富み、フレージングは瑞々しくなった。これはもういつものスクロヴァチェフスキだった。

 第1楽章の冒頭、弦が、聴こえるか聴こえないかの最弱音で歩みを始める。あんなに小さな音なのに、歩みのリズムはしっかり聴こえる。トランペットが第1主題を吹く。それが一気に盛り上がって、トゥッティで確保される。そのフレージングが、明確に前半と後半に区分され、前半はテヌート気味に、後半はフレーズの最後を切り上げるように演奏された。念のために、帰宅後、スコアを見た(ありがたいことに、今はインターネットでスコアが見られる)。たしかに音価はそうなっていた。だからスコアどおりに演奏したわけだが、なにかハッとさせるものがあった。

 この演奏は、「悠揚せまらぬ」ものではなく、もっと尖ったものだ。そのスタイルが今ではすっかり磨きあげられ、余計なものが削ぎ落とされて、完成の域にたっしたようだ。この曲は以前にも聴いたことがあるが、今回の演奏はその記憶を上回るものだった。
(2012.3.7.サントリーホール)
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