Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

塀の中のジュリアス・シーザー

2013年03月01日 | 映画
 映画「塀の中のジュリアス・シーザー」を観た。シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」を刑務所の中で、本物の受刑者たちが演じるというもの。特異な設定なので、まずその説明から。

 ローマ近郊のレビッビア刑務所では、受刑者の更生プログラムとして、演劇実習を取り入れている。プロの演出家の指導を受け、刑務所内の劇場で(この刑務所には劇場がある!)、一般の観客を招いて公演する。日本では考えにくいが、以上は事実だ。

 今年の演目は「ジュリアス・シーザー」。受刑者たちのオーディションが始まり、出演者が決まる。台本が配られ、独房で、廊下で、階段で、図書室で、そしてまた中庭で、稽古が進む――ドキュメンタリーのようだが、これはフィクションだ。もっともフィクションと現実との境目ははっきりしない。どこからどこまでがフィクションで、どの部分は撮影の過程で起きたハプニングなのか――。

 フィクションと現実との絡み合いがこの映画だ――と、まずはいえる。ひじょうに知的な、創意あふれる映画作りだ。

 そして一面では、シェイクスピアの戯曲の、きわめてユニークな脚色でもある。大胆にカットされた、男だけのシェイクスピア劇(女性が登場しないのは、刑務所であるがゆえの制約かもしれない)。ディテールを削ぎ落とした、求心的な展開。端的にいって、演劇的にも面白かった。これに比べると、どんな劇場の上演でも、どこか嘘っぽく感じられるのではないかと思ったほどだ。

 監督・脚本はタヴィアーニ兄弟。兄弟ともに制作時点で80歳を超えていた。が、80歳を超えた人が作った映画とはとても思えない。若々しく、生き生きした精神が感じられる。日本人は、80歳を超えたら、もっと穏健な、もしくは枯れた作風になるのではないだろうか。日本人と西洋人(この場合はイタリア人)とは、フィジカル・メンタルの両面で、そうとうちがうようだ。

 俳優ではブルータス(シーザーの台詞「ブルータス、お前もか」のブルータス)を演じた人の繊細な演技に注目した。実はこの人だけは現役(?)の受刑者ではなく、元受刑者だった。刑期の途中で減刑になり、出所後、プロの俳優になったそうだ。ラストシーン――公演が終わって、カーテンコールの場面――での、破顔一笑、くったくのない笑顔は、別人のようだった。これもまた演技だから驚く。
(2013.2.26.銀座テアトルシネマ)

↓予告編
http://www.youtube.com/watch?v=AtM59aG7UA8
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする