新国立劇場オペラ研修所の公演、ヒンデミットの「カルディヤック」を観た。昔から観たいと思っていたオペラの一つだ。その念願が叶った。DVDは出ているが、DVDを観る習慣がないので、舞台上演に接する機会を待っていた。それがオペラ研修所公演のかたちで訪れた。
話は少し遠回りするが、今までのオペラ研修所公演のことから。初めてその公演に接したのは2007年の「アルバート・ヘリング」(ブリテン作曲)だった。あれも一度は観たいと思っていたオペラだ。公演はすばらしかった。長年の渇きがいやされた。
次に観たのは2009年の「カルメル会修道女の対話」(プーランク作曲)だった。あれもすばらしかった。翌年にプロの団体が上演したが、まだ余韻が残っていたので、観に行く気になれなかった。その後ベルリンで観る機会があったが、感銘の深さではオペラ研修所のほうが上だった。
そして今回の「カルディヤック」。作品としての興味は劣らないので、その音楽を生で聴けたことは十分満足だが、演出については(美術・照明をふくめて)今までとは異質なものを感じた。
演出は三浦安浩さん。プログラムに掲載されたプロダクション・ノートは、ひじょうに興味深く、この作品について深く読み込んでいることが一目瞭然だった。三浦さんの演出は今までいくつか観たが、そのどれもと同じく、この作品でも十分に準備し、突っ込んだ解釈をしていることがわかった。
だが、舞台化すると、説明過剰に陥りがちだった。今回の場合は「影」(分身・ドッペルゲンガー)の起用。個々の場面ではひじょうに面白く、なるほど、そうなのかと、――登場人物の深層心理の表現として――教えられることがいっぱいあったが、全体としては、少し煩わしいというか、垢ぬけない感じが否めなかった。
ドラマトゥルグとしての力量はものすごくある人だと思うのだが――。
指揮は高橋直史(なおし)さん。積極果敢にオーケストラと歌手を引っ張っていた。ヒンデミットの音楽を聴いたという実感をもてたのは、高橋さんの指揮によるところが大きい。高橋さんは1973年生まれ。現在はドイツのエルツゲビルゲ歌劇場(ドイツ語表記はEduard-von-Winterstein-Theater)の音楽監督をしている。ホームページを見ると、年10回のオーケストラ・コンサートのうち8回を振るなど、頼もしい仕事ぶりだ。
(2013.3.1.新国立劇場中劇場)
話は少し遠回りするが、今までのオペラ研修所公演のことから。初めてその公演に接したのは2007年の「アルバート・ヘリング」(ブリテン作曲)だった。あれも一度は観たいと思っていたオペラだ。公演はすばらしかった。長年の渇きがいやされた。
次に観たのは2009年の「カルメル会修道女の対話」(プーランク作曲)だった。あれもすばらしかった。翌年にプロの団体が上演したが、まだ余韻が残っていたので、観に行く気になれなかった。その後ベルリンで観る機会があったが、感銘の深さではオペラ研修所のほうが上だった。
そして今回の「カルディヤック」。作品としての興味は劣らないので、その音楽を生で聴けたことは十分満足だが、演出については(美術・照明をふくめて)今までとは異質なものを感じた。
演出は三浦安浩さん。プログラムに掲載されたプロダクション・ノートは、ひじょうに興味深く、この作品について深く読み込んでいることが一目瞭然だった。三浦さんの演出は今までいくつか観たが、そのどれもと同じく、この作品でも十分に準備し、突っ込んだ解釈をしていることがわかった。
だが、舞台化すると、説明過剰に陥りがちだった。今回の場合は「影」(分身・ドッペルゲンガー)の起用。個々の場面ではひじょうに面白く、なるほど、そうなのかと、――登場人物の深層心理の表現として――教えられることがいっぱいあったが、全体としては、少し煩わしいというか、垢ぬけない感じが否めなかった。
ドラマトゥルグとしての力量はものすごくある人だと思うのだが――。
指揮は高橋直史(なおし)さん。積極果敢にオーケストラと歌手を引っ張っていた。ヒンデミットの音楽を聴いたという実感をもてたのは、高橋さんの指揮によるところが大きい。高橋さんは1973年生まれ。現在はドイツのエルツゲビルゲ歌劇場(ドイツ語表記はEduard-von-Winterstein-Theater)の音楽監督をしている。ホームページを見ると、年10回のオーケストラ・コンサートのうち8回を振るなど、頼もしい仕事ぶりだ。
(2013.3.1.新国立劇場中劇場)