Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

アイーダ

2013年03月28日 | 音楽
 新国立劇場の「アイーダ」。1998年の開場記念公演の一環として初演され、その後も何度か上演されているので、既に観たことのある人も多いだろう。だが、わたしは初めてだ。ゼッフィレッリ演出の絢爛豪華な舞台といわれると、食指が伸びないというか、ちょっと引いてしまうところがあった。今は年間会員になっているので、この公演にも出かけた次第だ。

 やはりというか当然というか、意外性とか新しい問題提起とかはない――が、さすがに美しい舞台だ。これはこれでいいと思ってしまえば、十分楽しめる。ゆったりくつろいで、楽々とした気分で楽しめばいい、という舞台だ。

 歌手はすばらしかった。アイーダのラトニア・ムーアLatonia Mooreには仰天した。どんなアンサンブルになっても、まっすぐ声が伸びてくる。すごい声だ。これまで随分「アイーダ」を観てきたが、これほどドラマティックなアイーダは初めてだ。ムーアは昨年9月にサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルで「ポーギーとベス」のベスを歌ったそうだ。よかったろうな。「ポーギーとベス」は大好きなオペラなので、こういう歌手で聴いてみたいものだ。

 ラダメスのカルロ・ヴェントレもよかった。一級品だ。ところがこれらの二人に比べると、アムネリスのマリアンネ・コルネッティは影が薄いというか、他の二人の引き立て役に回った観がある。なぜかはわからないが、本来の力をセーブしている印象だった。コルネッティは5月に「ナブッコ」のアビガイッレを歌う予定だから、それまでは判断保留。

 うれしかったことは、アモナズロの堀内康雄が外人勢に伍していたことだ。さすがに実力あるベテランだ。ランフィスの妻屋秀和も不足なし。こういう常連さんが脇を固めてくれると、われわれ観客は安心して観ていられる。いや、もっと実感に即していうと、劇場に親しみを感じる。

 指揮のミヒャエル・ギュットラーはドラマに果敢に切り込んでいた。それも好ましかったが、静寂の部分に緊張感があり、これも同じくらい好ましかった。オーケストラは東京交響楽団。同響の貢献が大きかった。

 音楽についての感想を。最後の地下牢の場でのアイーダとラダメスの二重唱――魂が肉体から離れて浮遊していくような音楽――は、ヴェルディをふくめて、これ以外には書かれたことがない音楽ではないだろうか。死とはこういうものかもしれないと、最近思うようになった。
(2013.3.27.新国立劇場)
コメント (3)
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