Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カンブルラン/読響

2013年03月21日 | 音楽
 カンブルラン/読響の定期、マーラーの交響曲第6番「悲劇的」。緩みのないテンポで進むマーラー。昨年12月のベートーヴェン「第九」のときもそうだった。「第九」のときにはいい意味でこちらの期待を裏切る側面があったが、今回はちがった。この曲のイメージの枠内にある解釈だった。カンブルランにとってもこの曲はまだアクチュアリティを失っていないのだろう。

 明るく、艶のある音、瑞々しさを湛えた音――それがカンブルランを聴く最大の喜びだ――、その美点にますます磨きがかかている。今のカンブルラン/読響はすごいことをやっている、けっして大袈裟ではなく、オーケストラを聴く醍醐味、あるいはある種の究極にむかって邁進している、と思った。

 カンブルランは今月末で当初の契約の3年を満了するそうだ。この3年間で達成した成果は、昨年4月の「ペトルーシュカ」と今回のマーラーで如実に感じられる。契約はさらに3年延長されたというから、これからなにが達成されるか、大いに興味がある。わたしなどの予想を超えるものがあるといいが。

 カンブルランは昨年9月からシュトゥットガルト歌劇場の音楽総監督を務めている。カンブルランの音楽的な性向からいって、――そして同歌劇場の志向するところから見ても――最適のポストだと思う。その仕事との両立がどうなるか。シュトゥットガルトでも歴史に残るような成果をあげてほしいし、読響もおろそかにしてほしくない。ファンの心理は複雑だ。

 話を戻して、今回のマーラー。第2楽章と第3楽章の演奏順はアンダンテ→スケルツォだった。この順序は久しぶりに聴いた気がする。最近は逆のケースが多かった。なるほど、これだと、どっしり落ち着く。もっとはっきりいうと、スケルツォのパロディ性が薄れる。第2楽章にスケルツォがくると、第1楽章を――その舌の根が乾かないうちに――異化するが、第3楽章だとその印象が薄まる。

 もう一点、第4楽章のハンマーの回数は2回だった。マーラーの改訂は5回→3回→2回だったから、アンダンテ→スケルツォの演奏順ともども、今回の演奏はマーラーが考えていた最終形――と思われるもの――を踏襲したわけだ。

 基本的には、過度に悲劇的ではなく、また、過度に甘美でもない演奏、言い換えるなら、文学的な解釈に頼るのではなく、徹底的に音楽的な演奏だった。その意味では潔い演奏でもあった。
(2013.3.19.サントリーホール)
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