Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

長い墓標の列

2013年03月08日 | 演劇
 福田善之の「長い墓標の列」が始まった。1957年、早稲田大学演劇研究会によって初演された作品。翌1958年には改訂版がぶどうの会によって上演された。当時、福田善之は20代だった。80歳を超えた今もなお健在だ。

 日本がファシズムに突き進む1939年、ファシズム批判の立場をとる河合栄治郎東大教授が休職処分を受ける――この実話を題材にした芝居。弾圧を受けながらも信念を曲げない主人公(役名は山名庄策)と、時流に合わせた生き方をする弟子(役名は城崎啓)の対立を軸に、その両者のあいだで揺れる弟子と学生たちを描く。

 信念にしたがった生き方とはなにか、人間の生き方とはなにか、人間とはなにか――といった議論が続く。みんな真剣だ。自分を賭けた議論を戦わせる。自分も傷つき、相手も傷つける。みんな自分の深部を見つめ、相手の深部を見つめる。

 わたしは1951年生まれだが、わたしの生まれ育った時代には、まだこういう時代の空気が残っていた。この芝居の時代(1939年前後)はいざしらず、初演当時(1957~1958年)の空気が濃厚に反映されていることは、経験からもよくわかる。

 それから約50年、時代はすっかり変わった。今でもこういう議論が交わされているのだろうか。わたしの知らないどこかで交わされているのだろうとは思う。だが、あまり目立たなくなった。形が変わった。

 プログラムに掲載された福田善之ご自身や、初演当時を知る人々のエッセイを読むと、主人公と対立する城崎にたいする興味・関心が共通しているのが意外であり、驚きだった。わたしの共感は圧倒的に山名にあった。実感からすると、今の世のなか、城崎みたいな人物でいっぱいだ。山名のような人物は絶えてしまった。わたし自身のことを考えても、忸怩たるものがある。

 山名を演じたのは村田雄浩。すばらしい風格だ。重厚で、かつヒューマニズムに溢れている。城崎を演じた古河耕史(演劇研修所修了生)もよく主人公と対峙していた。

 演出は宮田慶子。いつもながら、肌理の細かい、綿密な手触りだった。

 美術は伊藤雅子。天井まで届かんばかりの書棚(実際、河合栄治郎の自宅がそうだったらしい)の迫力もさることながら、舞台奥に傾斜のついた坂道を作り、そこに登場人物の立ち去る姿を見せ、まただれかが訪れる姿を見せていた。これがドラマに陰影を与えていた。
(2013.3.7.新国立劇場小劇場)
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