Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

遺体 明日への十日間

2013年03月11日 | 映画
 東京では先週後半から暖かい日が続いていた。今年も3.11が近づくなかで、あの日はあんなに寒かったのに、と思っていたら、昨日の夕方から急に寒くなった。3.11を迎えるにあたって相応しい気がした。

 寒くなった都心のビル街を抜けて、映画「遺体 明日への十日間」を観にいった。今年の3.11をどのように迎えようかと思っていたところ、朝のラジオでこの映画の君塚監督のインタビュー番組を聞いて、「そうだ、これを観て3.11を迎えよう」と思ったからだ。

 震災直後の岩手県釜石市。廃校の体育館が遺体安置所にあてられる。被害がどの程度なのか、まったくつかめない状況のなかで、汚泥にまみれた遺体が次々と運び込まれる。いったいどこまで増えるのか。ビニールシートを敷いた体育館の床は汚泥の山になる。

 市役所から派遣された担当職員も、なにをどうしたらいいか、途方に暮れる。みんな苛立っている。あちこちで怒声が聞こえる。そんな状況のなかで、民生委員をしている男が訪れる。その惨状を見て息をのむ。男はひざまずき、遺体に声をかける、「寒かったでしょう、大変だったね」。その様子を見ているうちに、人々の苛立ちは消え、やがて自分にできることを始める。

 本作は、津波で亡くなった多くのかたに捧げる鎮魂の映画であるとともに、――プログラム誌上で何人ものかたが指摘しているように――日本人の死生観を描いた映画であり、さらにいえば、途方もない災害に遭遇して自分を見失った人々が、少しずつ人間性を回復していく再生の物語でもある。

 原作は石井光太のノンフィクション「遺体 震災、津波の果てに」(新潮社刊)。なので、これはフィクションではなく、事実にもとづいた映画だが、ドキュメンタリーではない。脚本・監督の君塚良一、主演の西田敏行、その他すべてのキャスト・スタッフの想いが込められた作品だ。

 震災直後には何本かのドキュメンタリーが作られた。今後も「その後」のドキュメンタリーは作られるだろう。だが、いつかはフィクションの形で、震災で起きたことを語る作品が生まれるはずだと思っていた。本作はその嚆矢となる一作だ。

 日曜日の夜だったせいか、観客はけっして多くはなかった。その多くはない観客の大部分は、若い人たちだった。若い人たちがこの映画を観て、涙をぬぐい、終了後もなかなか立ち上がろうとはしなかった。
(2013.3.10.有楽町スバル座)

↓予告編
http://www.youtube.com/watch?v=nkjdyNAkhLY
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