Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

夜叉ヶ池

2013年06月26日 | 音楽
 香月修の新作オペラ「夜叉ヶ池」。前奏曲が始まると、ラヴェルのような音楽が流れてきて、前世紀にタイムスリップしたような気がした。第1幕に入ってしばらくすると、その音楽にも慣れ、ドラマに引き込まれた。一見淡々と進むように見える第1幕だが、その実起伏に富んでいた。

 第1幕が終わった時点で、これはすばらしいと思った。失礼ながら香月修という作曲家は(わたしには)未知の作曲家だったし、尾高芸術監督の友人という話も伝わってきたので、一抹の不安があった。でも、これはこれで、すばらしいと思った。新作の初演といえば、松村禎三の「沈黙」の初演に立ち会ったときに、震えるような感動を味わったことが思い出されるが、今回はそれに次ぐ手応えがあった。

 そのようにポジティヴに受け止めることができたのは、演奏がよかったからでもあるだろう。ヒロインの百合を歌った幸田浩子をはじめ、皆さん熱演=熱唱だった。また十束尚宏指揮東京フィルの演奏も濃密だった。十束氏は最近在京のオーケストを振らないので、どうしているかと思っていたが、健在でなによりだ。

 泉鏡花の戯曲「夜叉ヶ池」は昔読んだことがあるが、今回オペラを観るに当たって、読み直してみた。ひじょうに面白かった。軍国主義に突き進む当時の(1913年発表、第一次世界大戦前夜だ)日本社会にたいする批判が込められていることもわかった。

 この戯曲をどのようにオペラ化するのだろう、というのが目下の関心事だった。香月修と演出の岩田達宗(二人共同で台本を作成)のとった方法は、百合の子守唄を中心に構成する方法だった。戯曲では子守唄は一瞬しか出てこないが、オペラでは最初から最後まで出てくる。それによって全体をまとめる方法だった。

 これは慧眼だと思った。しかもその子守唄は、まだオペラ化のあてもない15年以上も前に書いて、作曲者自身ずっと特別の愛着を持っていた曲だと知って、静かな感動をおぼえた。

 細かいところでは、クライマックスで百合が自害したとき、その夫の晃が友人学円に「何時だ」と聞くその聞き方が妙に冷静なので、違和感があった。帰宅後戯曲を見てみたら「と極めて冷静に聞く」というト書きがあったので、戯曲通りだったわけだが――。

 もう一つ、幕切れでは大きなカタルシスを期待したが(そうなるものと思って音楽の流れに乗っていたが)、慎ましく終わった感じがした。
(2013.6.25.新国立劇場中劇場)
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