Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

宮本文昭/東京シティ・フィル

2014年01月20日 | 音楽
 東京シティ・フィルはこれまで音楽監督宮本文昭の指揮でブラームスの交響曲を第1番、第2番と演奏してきた。今回は第4番。残るは第3番だが、これはどうなるのだろう。というのは、来シーズンのチラシを見ると、「宮本文昭が指揮者としてのファイナルイヤーを迎えます」と書いてあるからだ。これは、具体的には、どういうことを意味するのだろう。

 ともかく、今回は第4番。以下、演奏順に記すと、1曲目はブラームスの「悲劇的序曲」。冒頭でいつもより低弦がたっぷり鳴っているように感じられた。宮本文昭の思い入れかなと思った。だが、残念ながら、中間部――弱音で行進曲風に推移する部分――は音楽が薄くなった。一旦そがれた感興はもう元に戻らなかった。

 2曲目はブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。ヴァイオリン独奏は大谷康子。今は東京交響楽団のソロ・コンサートマスターだが、以前は東京シティ・フィルのコンサートマスターだった。当時を知る人は懐かしいだろう。

 大谷康子の独奏を聴くのはこれが初めてではないが、まずその明るいステージマナーに感心してしまった。愛嬌たっぷり。ステージに登場したそのときから聴衆の心をつかんでしまう。演奏にも感心した。主張が強い。十分に手の内に入っている曲なのだろう。歌舞伎役者が見得を切るような、そんなピタッと決まった演奏だった。

 長年オーケストラのなかにいて、しかも独奏者としての資質を失わないことは、すごいことだ。だれにでもできることではない。そうとう強い人なのだろう。

 アンコールが演奏された。クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリス」という曲だった。だれの曲だろうと思った。

 3曲目はブラームスの交響曲第4番。驚いたことには、第1ヴァイオリンの最後列で大谷康子が弾いていた。ものすごいサービスぶりだ。こういうことで会場は盛り上がる。まさにライヴの楽しさだ。

 宮本文昭のブラームスは――ブラームスにかぎらず、他の音楽でもそうだが――外向的だ。内面に沈潜する演奏ではない。それはわたしの感じるブラームスではないので、今まで違和感があった。でも、今回やっと整理がついた。わたしのなかの収まるべき場所に収まった。第3楽章ではその疾走する演奏に納得した。

 いつものことだが、木管の若手が健闘していた。ソロの聴かせかたがうまい。宮本文昭の薫陶のたまものだと思う。
(2014.1.18.東京オペラシティ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする