Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

鉄くず拾いの物語

2014年01月19日 | 映画
 映画「鉄くず拾いの物語」。ボスニア・ヘルツェゴヴィナのロマの物語。夫ナジフは鉄くず拾いで生計を立てている。妻セナダは家事の一切を切りまわしている。かれらには2人の子どもがいる。貧しいながらも幸せな暮らしだ。セナダは身ごもっている。ある日、セナダは腹痛を訴える。普通の痛さではない。流産だ。手術をしないと命にかかわる。だが、保険証がない。お金もない。ナジフは八方手を尽くすが――。

 もしわたしだったらどうするだろう、と思った。真っ先に浮かんだのは、犯罪をおかすのではないか、ということだ。もちろん、わたしにそんなことができるはずもない。では、ほかにどうしたらいいんだ、とも思った。

 ナジフはそんなことは考えずに、懸命にあらゆるツテを頼っていく。立派だなと思った。かりに犯罪などおかしたら、万が一それに成功したとしても、家族は崩壊してしまうだろう。

 ナジフは親類の助力を得て、あまり大っぴらにはいえない方法で、このピンチを切り抜ける。家族にもとの日常が戻ってくる。貧しいが幸せな暮らし。短絡的な行動をとらなかったおかげだ。

 観終わって、暖かいものが残る映画だ。人間の一番大事なことを教えてくれる。これは実話だ。2011年に起きて、現地の新聞に報道された。それを読んだダニス・タノヴィッチ監督が当人と会い、――驚くべきことに――当人を使って映画にした。

 保険証がない、お金もない、なので、医療にかかれない、という現実は、今の日本にもありそうだ。ある医療ジャーナリストが「これは遠い国の物語ではない! 既に、この国でも起きている現実だ」とコメントしている。そういう現実をどうするか、という問題とあわせて、当事者になった場合を考えると、なんとも心寒い思いがした。

 2人の子どもが可愛い。妻(=母)セナダは命が危ないのだが、子どもたちは、そんなことにはお構いなく、セナダに甘え、ナジフに甘える。愛情たっぷりに育てられている。お金はなくて貧しいが、子どもたちは幸せそうだ。きっと立派に育つだろう。大人になってもロマにたいする差別はなくなっていないかもしれないが、それに耐えて人間として立派に生きるにちがいない。

 ナジフの家は雑然とした環境のなかにある。でも、家のなかはこざっぱりしている。これがロマの人々の一般的な暮らしらしい。そんなことも教えられた。
(2014.1.17.新宿武蔵野館)

↓予告編
http://www.youtube.com/watch?v=bFvMJ7pBTQI
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