Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

アバド逝去

2014年01月22日 | 音楽
 アバド逝去にともなってウェブ上では哀悼の言葉が飛び交っている。正直いってちょっと意外だった。こんなに人気があったのか、と。でも、よく見ると、「あまり熱心に聴いていたわけではないが」という言葉が付け加えられているケースが目立った。この辺が日本でのアバド受容の微妙なニュアンスを物語っているように思った。

 わたしも感じるところがあって、ツィッターで2度ほど呟いた。でも、呟かなければよかった。かえって中途半端な気がした。なんだか消化不良になった。もう少しまとめておかないと、落ち着かない気分になった。

 アバドは現代音楽に熱心だった。またロッシーニにも熱心だった。今のようにロッシーニが盛んに演奏され、また上演される前の時代だった。そういう意味で、レパートリーに一風変わった視野の広さがあった。ベートーヴェンやブルックナーやワーグナーも演奏した。でも、少なくとも若い頃は、そんなに熱心ではなかった。いや、正確にいうと、それらを繰り返し演奏して名声を築くタイプではなかった。

 こういう指揮者がミラノやウィーンやベルリンで、いわば保守本流のポストを得ることには、ちょっと無理があったというか、アバド自身無理をしているような感じがした。もちろん野心はあったろう。またエリート中のエリートとしてプライドもあったろう。なので、それらのポストは望んで得たポストだったろう。でも、アバドの資質には完全には一致していなかったと思う。

 一方、わたしたち聴衆には、新たな可能性を切り拓くのではないか、という期待があった。ベルリン・フィルのプログラムは一新した。少なくともアバドが振るときのプログラムは創意工夫にあふれた新鮮なものになった。

 なので、新時代の到来に一役買ったことはまちがいない。こうしたことは、ロンドンのポストを続けていれば、もっと楽にできたかもしれない。でも、あえてベルリンのポストで遂行したことに意味があったのかもしれない。

 ベルリンでは闘病との二足のわらじを余儀なくされた。苦しかったろう。ポストを辞任した後は、自由に、やりたいことをやれる立場になった。この頃の録音には驚くべきものがある。アバドはこんな境地に到達したのかと――。

 アバドが果たした役割はなんだったのか。20世紀の終わりから21世紀の初めにかけて、どのような橋渡しをしたのか。それらを解明する評伝がいずれ書かれるのではないか。それを待ちたい。
コメント (3)
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