Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

浜辺のアインシュタイン

2022年10月09日 | 音楽
 フィリップ・グラス(1937‐)のオペラ(オペラといっていいのかどうか。ともかく型破りな作品だ)「浜辺のアインシュタイン」は、一生観る機会がないのではないかと思っていた。1992年に東京公演があったそうだが、そのころは仕事が忙しくて、公演があること自体知らなかった。その後、アメリカ公演やヨーロッパ公演の予定を知ったが、休暇を取れなかった。

 その「浜辺のアインシュタイン」が思いがけず神奈川県民ホールで上演された。初日に観に行ったが、その帰りに当公演開催の立役者と思われる一柳慧氏(作曲家、神奈川芸術文化財団芸術総監督)の訃報に接した。前日に亡くなったらしい。なんたること。そのショックをふくめて、「浜辺のアインシュタイン」に触れた経験は、わたしには忘れられない想い出になりそうだ。

 いうまでもないが、「浜辺のアインシュタイン」はフィリップ・グラスとロバート・ウィルソン(1941‐)のコラボ作品だ。ロバート・ウィルソン演出のDVDも出ている。幸か不幸か、わたしはそのDVDを観ずに当公演に接した。今後さまざまな演出で上演されるだろう(そう期待する)この作品の、多様化する上演史の一歩に触れた思いがする。

 「浜辺のアインシュタイン」は演劇と音楽とダンスのコラボレーションだ。三者の中では演劇がもっとも解体されている。それはともかくとして、演劇と音楽とダンスが一体となって“総合芸術”を目指すのではなく、三者がバラバラに存在する点がユニークだ。その意味ではレジーテアター(演出主導の上演)とは趣が異なる。わたしが触れたレジーテアターはヴォルフガング・リーム(1952‐)の「ハムレット・マシーン」と「メキシコの征服」だが、ともに演出家によって一本のストーリーが組み立てられていた。

 平原慎太郎演出・振付の当公演では、東日本大震災の津波を思わせる場面があったり、また(わたしの勝手な想像かもしれないが)全体主義国家を思わせる場面があったりした。それらのイメージが断片的に連なりながら、社会の現状への批判的な視点と、それでも生きていくわたしたちへの肯定的な視点を感じた。端的にいって、わたしはチラシ(↑)に描かれた半ズボン姿の少年(その少年は舞台にも出てくる)にわたし自身を重ねた。

 演奏の熱量がすごかった。指揮のキハラ良尚、ヴァイオリンの辻彩奈、電子オルガンの中野翔太と高橋ドレミ、そして(個々の名前は省略するが)フルート、バスクラリネット、サクソフォンの皆さんと東京混声合唱団。かれらの熱量は現代の省エネ志向とは真逆のものだった。多数のダンサーたちの熱量も。またダンスでは中村祥子の美しさに目をみはった。俳優の松雪泰子と田中要次は(この作品では)あまり見せ場がなかった。
(2022.10.8.神奈川県民ホール)
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