Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

渡邉暁雄生誕100年

2019年07月06日 | 音楽
 渡邉暁雄(1919‐1990)は、亡くなる年の1990年1月の日本フィル定期で、ブルックナーの交響曲第7番を振った。長年シベリウスやマーラーを振ってきた渡邉暁雄がブルックナーを振るのは珍しく、どんな演奏になるか、注目した。テンポをあまり動かさず、すっきりした造形感があったが、そのときのわたしには、それ以上のことはわからなかった。後日CD化されたとき(Canyon classics PCCL-00118)、そのCDを聴いて、その演奏を初めて聴くような気がした。

 同年5月の定期ではシベリウスの交響曲第4番と第5番を振る予定だったので、わたしは大いに期待していたが、渡邉暁雄は体調不良でキャンセルした。当時まだ無名だったオスモ・ヴァンスカが代演したが、「静」の渡邉に対して「動」のヴァンスカと対照的だったので、戸惑っているうちに演奏が終わった。

 翌月、渡邉暁雄は亡くなった。享年71歳。指揮者としては若すぎた。

 先日、渡邉暁雄の生誕100年に当たり、久しぶりに上述のブルックナーのCDを聴いてみた。あらためて感じたことは、渡邉暁雄が自己を開放していることだ。渡邉暁雄は昔から基本的にはインテンポで、バランス、音程、その他の基本に忠実な指揮者だったが、その反面、感情に身を委ねることはなく、自己に対して抑制的だった。でも、亡くなる数年前から、変化が起きていた。

 その変化に気がついたのは、1988年4月の定期でのハイドンのオラトリオ「四季」だった。堂々として恰幅がよく、農民の喜びを腹の底から歌い上げる演奏に、わたしは目をみはった。昔の渡邉暁雄とは一味違っていた。

 翌1989年10月の定期ではヘンデルのオラトリオ「メサイア」がプログラムに組まれていた。わたしは期待したが、残念ながら出張とぶつかった。そんな矢先に聴いたのが前記のブルックナーの交響曲第7番だ。今回そのCDを聴き直して、ハイドンの「四季」で受けた印象が蘇ってきた。

 渡邉暁雄は、指揮者としては短すぎた生涯の晩年に、ほんとうの大家になったと思う。大きく楽に呼吸して、自己の内面を解き放った。

 シベリウスについても触れておきたい。渡邉暁雄のシベリウスは、その後日本フィルでシベリウス・チクルスをやったネーメ・ヤルヴィともピエタリ・インキネンとも違っていた。何かに耐えるような静かに燃えるシベリウス。それは日本人とフィンランド人の血の混淆からくる唯一無二の様式だったのではないか。

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