Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ミュージアム・コンサート:加藤訓子~ル・コルビュジエ展

2019年03月30日 | 音楽
 東京・春・音楽祭(東京春祭)の「ル・コルビュジエ展」記念コンサートの一つ、加藤訓子のパーカッション・コンサートへ。同展が開かれている国立西洋美術館の企画展示ロビーで行われた。

 プログラムが魅力的だ。三善晃の独奏マリンバのための曲が3曲(組曲「会話」、「トルスⅢ」と「リップル」)そしてクセナキスのパーカッション独奏曲「ルボン」。演奏に入る前に同館副館長の村上博哉氏によるル・コルビュジエ展のプレゼンが20分ほどあり、その後、演奏が約1時間あった。

 三善晃の3曲は、なるほど、この並びでなければならないのだなと思った。「会話」がシンプルなテクスチュアで構成されているのに対して、次の「トルスⅢ」では複雑化し(「会話」が子どものための世界であるのに対して、「トルスⅢ」は大人の世界に移行する)、「リップル」ではさらに重層化する。

 一方、クセナキスの「ルボン」は三善晃とはまったく違う音楽だ。大地を揺るがすようなバスドラムの響きが強烈なa.の部分と、華麗な撥さばきに瞠目するb.の部分と、その2部分からなる同曲は、紛れもなく西洋的な精神から生まれている。逆にいうと、三善晃の音楽はフランス的な感性云々といわれるが、やはり日本的な湿度をもった音楽だと感じる。

 加藤訓子の演奏は見事だった。三善晃の3曲では、ファンタジーが豊かに広がり、とくに「リップル」では、わたしは渦の中に巻き込まれるような感覚になった。クセナキスでは、しなやかな手首から打ち出される強烈な打音が、わたしの全身を貫いた。

 今、「しなやかな」と表現したが、実感からいうと、むしろ鞭が「しなる」感覚に近かった。それがこのパーカッショニストの個性を稀有なものにしているのではないかと思う。けっして無機質にならずに、有機的で柔軟な流れが、その手首から生まれる。

 当コンサートのチケットでル・コルビュジエ展にも入場できるので、コンサート終了後に覗いてみた。若き日のル・コルビュジエの絵画が、盟友オザンファンの他、ピカソ、ブラック、レジェなどのキュビスム絵画と比較展示されているが、それよりもむしろ、ル・コルビュジエが設計した国立西洋美術館をあらためて体感するよい機会になった。

 同展のプロモーション・ヴィデオで「重なり合う空間」とか「閉じられていない空間の連続」と紹介されているその内部空間は、そう意識してそぞろ歩き、さまざまな角度に視線を泳がせると、変化に富む多様な空間であることが実感された。
(2019.3.26.国立西洋美術館)

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