東京オペラシティの「B→C」(ビートゥシー)リサイタル・シリーズに山根一仁(やまね・かずひと)が登場して、無伴奏ヴァイオリン曲のみによるプログラムを組んだ。そのプログラムも演奏もきわめて充実していた。
当夜、会場に着くと、曲順が変更になっていた。当初の発表ではプログラムの前半はバッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番」で締めて、後半はバルトークの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」で締める予定だったが、前半と後半で曲が入れ替えになった。それに伴ってその他の曲も少し入れ替わった。なぜ入れ替えたのか。想像すると興味深かった。
さて、1曲目はベリオ(1925‐2003)の「セクエンツァⅧ」。音の強弱、音価、その他あらゆる要素がくっきりとコントラストをつけて書かれた曲――と、山根一仁の演奏を聴いて思った。ベリオのセクエンツァ・シリーズはいま聴いても色褪せていないと感じた。
2曲目はビーバー(1644洗礼‐1704)の「ロザリオのソナタ」から最終曲「パッサカリア」。いまにも壊れそうな感じのする繊細な演奏だった。ベリオの激しい演奏とは対極にあるその演奏にじっと息をひそめた。
3曲目はバルトーク(1881‐1945)の「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」。すさまじい集中力で作品に喰らいつくような演奏だった。まさに入魂の演奏。わたしにとっては当夜の白眉だった。この曲をプログラムの後半から前半に移したのは、もしかするとスタミナ配分への考慮だったか、と思われた。少なくともわたしはその演奏に打ちのめされた。
石川亮子氏のプログラム・ノーツに「バルトークのアメリカ時代の作品が以前よりも分かりやすいものになったと説明されるが、技巧的にも内容的にも大変な難曲とされる本作品が、バルトークにとって生涯最後の完成作品となりました」とあった。まさに同感で、この曲はバルトークの創作活動の集大成だ――と、そんな感慨を覚えた。
4曲目はヴィトマン(1973‐)の「エチュードⅢ」。2018年のサントリーホール・サマーフェスティバルでこの曲の初演者、カロリン・ヴィトマン(作曲者の妹)の演奏で聴いた曲だが、そのときよりも当夜の演奏のほうがインパクトがあった。
5曲目はバッハ(1685‐1750)の「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番」。この曲になると、会場の空気が一変した。清澄な空気のなかにバッハの充足した音楽が流れた。例の「シャコンヌ」さえも過度な思い入れを感じさせず、全体の様式感のなかに収まった。若いにもかかわらず(1995年生まれ。現在はミュンヘン国立音楽演劇大学に在籍中)少しも精神的な未熟さを感じさせない山根一仁は、恐るべき才能だ。
(2021.3.16.東京オペラシティ・リサイタルホール)
当夜、会場に着くと、曲順が変更になっていた。当初の発表ではプログラムの前半はバッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番」で締めて、後半はバルトークの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」で締める予定だったが、前半と後半で曲が入れ替えになった。それに伴ってその他の曲も少し入れ替わった。なぜ入れ替えたのか。想像すると興味深かった。
さて、1曲目はベリオ(1925‐2003)の「セクエンツァⅧ」。音の強弱、音価、その他あらゆる要素がくっきりとコントラストをつけて書かれた曲――と、山根一仁の演奏を聴いて思った。ベリオのセクエンツァ・シリーズはいま聴いても色褪せていないと感じた。
2曲目はビーバー(1644洗礼‐1704)の「ロザリオのソナタ」から最終曲「パッサカリア」。いまにも壊れそうな感じのする繊細な演奏だった。ベリオの激しい演奏とは対極にあるその演奏にじっと息をひそめた。
3曲目はバルトーク(1881‐1945)の「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」。すさまじい集中力で作品に喰らいつくような演奏だった。まさに入魂の演奏。わたしにとっては当夜の白眉だった。この曲をプログラムの後半から前半に移したのは、もしかするとスタミナ配分への考慮だったか、と思われた。少なくともわたしはその演奏に打ちのめされた。
石川亮子氏のプログラム・ノーツに「バルトークのアメリカ時代の作品が以前よりも分かりやすいものになったと説明されるが、技巧的にも内容的にも大変な難曲とされる本作品が、バルトークにとって生涯最後の完成作品となりました」とあった。まさに同感で、この曲はバルトークの創作活動の集大成だ――と、そんな感慨を覚えた。
4曲目はヴィトマン(1973‐)の「エチュードⅢ」。2018年のサントリーホール・サマーフェスティバルでこの曲の初演者、カロリン・ヴィトマン(作曲者の妹)の演奏で聴いた曲だが、そのときよりも当夜の演奏のほうがインパクトがあった。
5曲目はバッハ(1685‐1750)の「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番」。この曲になると、会場の空気が一変した。清澄な空気のなかにバッハの充足した音楽が流れた。例の「シャコンヌ」さえも過度な思い入れを感じさせず、全体の様式感のなかに収まった。若いにもかかわらず(1995年生まれ。現在はミュンヘン国立音楽演劇大学に在籍中)少しも精神的な未熟さを感じさせない山根一仁は、恐るべき才能だ。
(2021.3.16.東京オペラシティ・リサイタルホール)