Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

大野和士&都響

2010年05月21日 | 音楽
 都響の5月定期Bシリーズは大野和士さんの指揮。今ではどのオーケストラも大野さんの登場は特別のイベントになってきた。これはたいしたものだ。大野さんは若いころは都響の正指揮者をつとめていた。そのころから優秀な人材だったが、今では風格も備わってきて、昔を知る人間としては嬉しい。
 プログラムは次のとおりで、いかにも大野さんらしいテーマ性があった。
(1)シューマン:「マンフレッド」序曲
(2)細川俊夫:打楽器とオーケストラのための協奏曲「旅人」(打楽器:中村功)
(3)チャイコフスキー:交響曲「マンフレッド」

 1曲目のシューマンからして、まったく弛緩したところのない、緊張感みなぎる演奏。大野さんの精神の張りが並みのものではないことを感じた。

 2曲目の「旅人」は当日の白眉だった。寄せては返す波のように重層的な音を積み重ねるオーケストラをバックに、打楽器が劇的なソロを繰り広げる。その音楽的な充実度はたいへんなものだ。中村功(いさお)さんはヨーロッパ各地で活動している打楽器奏者とのこと。どんなに強烈に打ち込んでも、音が重くならずに、音楽ののりを越えない。それは手首の柔らかさといったフィジカルな面以上に、内なる音楽性のあらわれだと思った。

 3曲目の交響曲「マンフレッド」は、2009年10月にラザレフが日本フィルを指揮した名演奏が記憶に新しい。ラザレフや大野さんといったレベルになると、もうどちらがよいということではなくて、それぞれの個性に圧倒される思いだ。個性はまるでちがう。大野さんのほうは歯切れがよくて、シャープだ。

 大野さんのこのプログラムに刺激されて、バイロンの劇詩「マンフレッド」を読んでみた。その結末に驚いた。マンフレッドは苦悩の末に、たしかに死によって救われるが、チャイコフスキーのこの曲をきいて想像されるような、天国の門が開かれるという結末ではなかった。神への服従を拒否したマンフレッドにとっては、死による救いが最大の救いであって、天国に迎え入れるのは、あらずもがなのことかもしれない。

 では、なぜチャイコフスキーのこの曲では、オルガンが壮麗に鳴って、まるで天国の門が開かれるような結末になったのだろう。気になって調べてみたら、チャイコフスキーの原典版ではこのコーダはついていなかったが、元々チャイコフスキーにこの曲の作曲をすすめたバラキレフの提案にしたがって、コーダがついたとのことだった。
 これはバイロンの原作にたいする恣意的な解釈なのだろうか、それとも音楽上の実際的な処理なのだろうか。
(2010.5.20.サントリーホール)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天城山 | トップ | 影のない女 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

音楽」カテゴリの最新記事