カーチュン・ウォンの日本フィル首席客演指揮者就任披露となった東京定期。プログラムはアルチュニアン(1920‐2012)のトランペット協奏曲(トランペット独奏は同フィル首席奏者のオッタビアーノ・クリストーフォリ)とマーラーの交響曲第5番。
同プログラムは2020年3月にカーチュン・ウォンの同フィル初登場のために組まれたものだった。ところが新型コロナウィルスの感染拡大のため、演奏会は中止になった。そのプログラムの復活が今回の首席客演指揮者就任披露のためのものになった。就任を披露するにふさわしいプログラムだ。運も実力のうちというが、カーチュン・ウォンと日本フィルはツキを呼び込んだとも感じる。
アルチュニアンのトランペット協奏曲は、わたしは知らなかったが、トランペット協奏曲としては有名な曲らしい。明快な曲想で、アルメニア生まれというアルチュニアンの出自によるのか、民俗性も漂う。名手オッタビアーノの明るい音色が響きわたった。
オッタビアーノはマーラーの交響曲第5番でもトランペットの一番奏者に入った。すごいスタミナだ。しかも日本フィルは東京定期を2日間開催するので、オッタビアーノは2日連続でこれをやった。見上げたプロ根性だ。交響曲第5番の第1楽章は、冒頭のトランペット独奏をはじめ、楽章を通じてトランペットのソリスティックな動きが続くが、さすがに安定した演奏だった。
カーチュン・ウォンの指揮は、全楽章を通して、音色の変化とアクセントの多様さにより細かいドラマが生起するものだった。おもしろくて仕方がない。スコアからそのような音楽を読み取るとは、なんという才能だろう。しかもクリアーな音と粘らないリズムはこの指揮者の特徴だ。結果、ストレスを感じさせない演奏が立ち上がった。
個別の点でいえば、第1楽章ではヴァイオリンとチェロの第一主題の提示のとき、チェロの旋律線が明瞭に浮き上がったのが印象的だ。第2楽章では第二主題の回帰のときに、一瞬の間を置き、その後にチェロが一音一音たしかめるように奏し始める、そのドラマにハッとした。第3楽章ではホルンの首席奏者の信末硯才が大活躍だった。福川、日橋を生んだ日本フィルのホルン・セクションの次代を担う逸材だ。第4楽章では弦楽器奏者たちの集中力に息をのんだ。第5楽章では、乗りに乗った演奏だったが、お祭り騒ぎにならない点が従来の演奏とは一線を画した。
全体を通して、カーチュン・ウォンと日本フィルの新時代を告げる演奏だった。今後の共演が実り多きことを願う。
(2021.12.10&11.サントリーホール)
同プログラムは2020年3月にカーチュン・ウォンの同フィル初登場のために組まれたものだった。ところが新型コロナウィルスの感染拡大のため、演奏会は中止になった。そのプログラムの復活が今回の首席客演指揮者就任披露のためのものになった。就任を披露するにふさわしいプログラムだ。運も実力のうちというが、カーチュン・ウォンと日本フィルはツキを呼び込んだとも感じる。
アルチュニアンのトランペット協奏曲は、わたしは知らなかったが、トランペット協奏曲としては有名な曲らしい。明快な曲想で、アルメニア生まれというアルチュニアンの出自によるのか、民俗性も漂う。名手オッタビアーノの明るい音色が響きわたった。
オッタビアーノはマーラーの交響曲第5番でもトランペットの一番奏者に入った。すごいスタミナだ。しかも日本フィルは東京定期を2日間開催するので、オッタビアーノは2日連続でこれをやった。見上げたプロ根性だ。交響曲第5番の第1楽章は、冒頭のトランペット独奏をはじめ、楽章を通じてトランペットのソリスティックな動きが続くが、さすがに安定した演奏だった。
カーチュン・ウォンの指揮は、全楽章を通して、音色の変化とアクセントの多様さにより細かいドラマが生起するものだった。おもしろくて仕方がない。スコアからそのような音楽を読み取るとは、なんという才能だろう。しかもクリアーな音と粘らないリズムはこの指揮者の特徴だ。結果、ストレスを感じさせない演奏が立ち上がった。
個別の点でいえば、第1楽章ではヴァイオリンとチェロの第一主題の提示のとき、チェロの旋律線が明瞭に浮き上がったのが印象的だ。第2楽章では第二主題の回帰のときに、一瞬の間を置き、その後にチェロが一音一音たしかめるように奏し始める、そのドラマにハッとした。第3楽章ではホルンの首席奏者の信末硯才が大活躍だった。福川、日橋を生んだ日本フィルのホルン・セクションの次代を担う逸材だ。第4楽章では弦楽器奏者たちの集中力に息をのんだ。第5楽章では、乗りに乗った演奏だったが、お祭り騒ぎにならない点が従来の演奏とは一線を画した。
全体を通して、カーチュン・ウォンと日本フィルの新時代を告げる演奏だった。今後の共演が実り多きことを願う。
(2021.12.10&11.サントリーホール)