年末年始は松江で過ごした。松江は仕事で何度か行ったことがあるが、市内観光などしたことがなかった。今回たまたま現役時代に関係のあったホテルが取れたので、松江で年越しをした。
松江に着いたのは大晦日の夜だった。その日はホテルで夕食をとった。外に出る元気はなかった。その代わり、ホテルで地ビール、地ワイン、地酒を飲んだ。これだけ飲めば十分というくらいに。暖房のきいた部屋に戻って、さらに地酒のワンカップを飲んだ。これがいけなかったらしい。翌朝(元旦)は頭が痛かった。
元旦は出雲の神々の故郷の大庭町を歩いた。穏やかな晴天だった。素戔鳴尊(すさのおのみこと)と稲田姫命(いなたひめのみこと)を祀る八重垣神社(やえがきじんじゃ)から伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀る神魂神社(かもすじんじゃ)まで「はにわロード」という散策コースが整備されていた。古代の神々の大冒険をしのびながら、気持のよい散歩をした。
わたしはとくに神魂神社(かもすじんじゃ)の凛としたたたずまいに感銘を受けた。「現存する最古の大社造り」で国宝だそうだ。写真↑はそのとき撮ったもの。森閑とした木立の中にひっそり建っていた。初もうで客を目当てにした屋台は1軒もなかった。地元の人が三々五々訪れるだけという風情だった。
神魂神社(かもすじんじゃ)の先に「風土記の丘展示学習館」があるのだが、残念ながら休館だった。古事記、日本書紀そして出雲国風土記を手っ取り早く学習するよい機会だと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。
バスで市内に戻って、松江城に行ってみた。前述のとおり、今まで何度か松江に来たことはあるが、松江城を近くで見るのは初めてだった。国宝に指定されたためか、観光客でにぎわっていた。
松江城を囲む堀川を渡って、武家屋敷が並ぶ塩見縄手(しおみなわて)に出た。その一角の「小泉八雲記念館」で八雲の生涯をたどり、隣接の「小泉八雲旧居」で在りし日の生活ぶりを見た。
「旧居」に置かれた八雲愛用の机と椅子に衝撃を受けた(もっとも、「旧居」にあるのはレプリカで、本物は「記念館」にあるのだが、生活の場に置かれたレプリカの方が、わたしには衝撃だった)。極端な高さの机と普通の椅子。少年時代に左目を失い、右目も極度の近視だった八雲は、机にへばりつくようにして執筆したらしい。そんな苦闘の跡がしのばれた。
松江に着いたのは大晦日の夜だった。その日はホテルで夕食をとった。外に出る元気はなかった。その代わり、ホテルで地ビール、地ワイン、地酒を飲んだ。これだけ飲めば十分というくらいに。暖房のきいた部屋に戻って、さらに地酒のワンカップを飲んだ。これがいけなかったらしい。翌朝(元旦)は頭が痛かった。
元旦は出雲の神々の故郷の大庭町を歩いた。穏やかな晴天だった。素戔鳴尊(すさのおのみこと)と稲田姫命(いなたひめのみこと)を祀る八重垣神社(やえがきじんじゃ)から伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀る神魂神社(かもすじんじゃ)まで「はにわロード」という散策コースが整備されていた。古代の神々の大冒険をしのびながら、気持のよい散歩をした。
わたしはとくに神魂神社(かもすじんじゃ)の凛としたたたずまいに感銘を受けた。「現存する最古の大社造り」で国宝だそうだ。写真↑はそのとき撮ったもの。森閑とした木立の中にひっそり建っていた。初もうで客を目当てにした屋台は1軒もなかった。地元の人が三々五々訪れるだけという風情だった。
神魂神社(かもすじんじゃ)の先に「風土記の丘展示学習館」があるのだが、残念ながら休館だった。古事記、日本書紀そして出雲国風土記を手っ取り早く学習するよい機会だと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。
バスで市内に戻って、松江城に行ってみた。前述のとおり、今まで何度か松江に来たことはあるが、松江城を近くで見るのは初めてだった。国宝に指定されたためか、観光客でにぎわっていた。
松江城を囲む堀川を渡って、武家屋敷が並ぶ塩見縄手(しおみなわて)に出た。その一角の「小泉八雲記念館」で八雲の生涯をたどり、隣接の「小泉八雲旧居」で在りし日の生活ぶりを見た。
「旧居」に置かれた八雲愛用の机と椅子に衝撃を受けた(もっとも、「旧居」にあるのはレプリカで、本物は「記念館」にあるのだが、生活の場に置かれたレプリカの方が、わたしには衝撃だった)。極端な高さの机と普通の椅子。少年時代に左目を失い、右目も極度の近視だった八雲は、机にへばりつくようにして執筆したらしい。そんな苦闘の跡がしのばれた。