Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パンデミックと音楽

2020年05月18日 | 音楽
 日経新聞の連載「疫病の文明論」が終わった。5月4日から13日まで、美術、文学、社会学、記号論、西洋史、建築、中国史の7分野にわたって、斯界の第一人者が論考を寄せた。わたしは連載のスタート時点から、いずれは音楽、演劇、映画などの分野にも及ぶものと楽しみにしていたが、残念ながら中国史をもって「おわり」となった。いずれ続編があることを期待するが、どうなるか。

 わたしなりに音楽と疫病との関係を考えると、まず思い浮かぶのは2020年1月15日に下野竜也指揮読響が演奏したグバイドゥーリナの「ペスト流行時の酒宴」だ。プーシキンの戯曲にもとづく管弦楽曲で、周囲にペストが蔓延する中で、享楽的な生活に明け暮れる人々を描いた曲。1月15日の時点では、すでに新型コロナの脅威が報道されてはいたが、日本はまだ呑気だった。その頃にこの曲が演奏されたことは、なんとも予言的だったと、いまになって思う。

 グバイドゥーリナのその曲は、目に見えないペスト菌が人々の間にはびこる様子を電子音で描いている。オーケストラの狂騒の中に、異物のような電子音が忍びこみ、それが猛スピードで動き回るにつれ、オーケストラの音にダメージを与える。疫病の流行を描いた曲として、これ以上適切な例はないかもしれない。

 オペラについては、ベンジャミン・ブリテンの「ヴェニスに死す」が思い浮かぶ。いうまでもなくトーマス・マンの同名小説に基づくオペラだが、その小説はヴェニスにおけるコレラの流行を背景とする。いま盛んにアルベール・カミュの「ペスト」が読まれているが、トーマス・マンの「ヴェニスに死す」も疫病文学の一つだ。

 ブリテンのそのオペラは、グバイドゥーリナの「ペスト流行時の酒宴」とは違って、特殊音は使わずに、通常編成の室内オーケストラを使っているが、主人公のアッシェンバッハに旅行会社の社員が「インドのガンジス河のデルタ地帯で発生したコレラが、地中海の諸港に及び、ヴェニスにも至った」と語る場面では、低音楽器のうねりの中で、社員のバリトンの声が不気味に響く。

 もう一つ、詳述は控えるが、METライブビューイングで上映されたトーマス・アデスの「皆殺しの天使」は、疫病が流行する中で、ある屋敷に閉じこもる人々のドラマとして演出できそうだ。

 美術の「死の舞踏」の表象は、疫病(ペスト)の流行が背景にあるが、その表象を音楽化した作品にリストとサン=サーンスの「死の舞踏」がある。リストの曲はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の変奏。サン=サーンスの曲は死神の弾くヴァイオリンが跳梁する。マーラーの交響曲第4番の第2楽章も同種の音楽だ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« エサ=ペッカ・サロネンの音楽 | トップ | ジョナサン・レシュノフの音楽 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

音楽」カテゴリの最新記事