Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ジョナサン・レシュノフの音楽

2020年05月23日 | 音楽
 N響恒例のMUSIC TOMORROW 2020が中止になったので、予定曲の一つだったエサ=ペッカ・サロネンの「ニュクス」をナクソス・ミュージックライブラリー(以下「NML」)で聴き、その感想は先日書いたが、次にジョナサン・レシュノフJonathan Leshnoffという作曲家の「ヴァイオリンと管弦楽のための室内協奏曲」が気になった。NMLを覗くと、その曲はなかったが、他の曲がいくつかあった。

 レシュノフの音楽は、新奇な音を鳴らすとか、未知の領域に切り込むとか、そういう種類のものではないようだ。語弊があるかもしれないが、既知の音楽の範囲内に収まる。例えば躍動的な音楽とか、瞑想的な音楽とか、そういった捉え方ができる。その意味ではサロネンの曲とは対照的だが、演奏効果はあがりそうだ。アメリカの多くのオーケストラから委嘱を受ける人気作曲家のようだが、それも頷ける。

 レシュノフは1973年ニュージャージー生まれ。インターネットを検索すると、2007年8月に広上淳一指揮の京都市響が「ヴァイオリン協奏曲」を演奏している(ヴァイオリン独奏はチャールズ・ウエザビー)。NMLに入っているので、聴いてみた。

 歯切れのよいリズム、明快なハーモニー、そしてリリシズムといった要素が特徴的で、聴きやすい曲だが、新味には欠けると思った。ところがライナーノートを読んでアッと驚いた。それを要約すると、レシュノフはあるときナチスの強制収容所を生き延びた人の話を聞いた。その人によると、ナチスのSSが被収容者たちを整列させて、被収容者たちへの侮蔑をこめて、ナチスの歌を歌わせた。被収容者たちは歌った。そのとき後列の人たちが、その歌にユダヤの祈りを忍び込ませた。レシュノフはその話に衝撃を受け、ユダヤの祈りを第2楽章で表現したそうだ。

 同様な例は交響曲第4番「ヘイチャロス」でも見られる。第1部は躍動的な音楽、第2部は瞑想的な音楽で、おもしろく聴けるが、あまり深みはないと思った。だが、ライナーノートを読むと、意外なことが書いてあった。第2部は「希望のヴァイオリンViolins of Hope」(※)のために書かれた、と。「希望のヴァイオリン」とはナチスの強制収容所で被収容者たちが弾いた古いボロボロのヴァイオリンを修復した楽器。それが鳴っているのだ。そうだとすると、聴こえ方がまるで違う。実演で聴いたら感動するだろう。

 以上の事柄は音楽以外の要素だろうか。それとも音楽を成り立たせる要素の一つだろうか。それは、わたしたちの感動はどこからくるのか、という問題になる。一方、そんな問題に煩わされない曲もある。オラトリオ「ゾーハルZohar」だ。もっとも、この曲はユダヤ教の教義と結びついている。音楽の明快さと意味内容の難解さとの両面がある。全6楽章中、第4楽章「羊飼いの少年」にはマーラーの「原光」に似た信仰の感動が感じられる。

(※)「希望のヴァイオリン」https://www.hakusuisha.co.jp/book/b214928.html

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