Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ゲッベルスと私

2018年07月13日 | 映画
 ナチス・ドイツの宣伝相ゲッベルス。ヒトラー体制を作り上げ、支えた一人。ヒトラーが自殺した翌日(1945年5月1日)に、ヒトラーの後を追うように自殺した。

 ゲッベルスの秘書は5人いたそうだ。その一人がブルンヒルデ・ポムゼル(1911‐2017)。そのポムゼルが103歳の時にインタビューに答えた。それが本作。自身の生い立ちからゲッベルスの秘書になるまでの経緯、ゲッベルスの印象、ナチス体制下で何を考え、また考えなかったか、その他ナチスの時代を生きた想い出が語られる。

 写真(↑)で見るポムゼルは、弱々しい老人に見えるかもしれないが、映画で見るポムゼルは、言葉が明瞭で淀みなく、とても103歳とは思えない。嘘やごまかしは、たぶん言っていないだろうと感じられる。

 プログラムに1枚だけ若いころの写真が載っている。黒っぽいスーツを着て、眼鏡をかけ、微笑を浮かべている。知的で、聡明で、有能そうに見える。仕事で一目置かれるタイプかもしれない。だからこそゲッベルスの秘書に抜擢されたのだろう。

 ついでに言うと、戦後はドイツ公共放送連盟で働き、編成局長の秘書を務めたそうだ。根っからの秘書タイプ、それも有能な秘書だったのだろう。そのような人物がナチス時代をどう生きたか。自ら「政治には無関心」と言い、「物事を深く考えない」性格だという彼女が、有能さゆえにナチス体制を支えた。当時そういう人々が無数にいただろう、その一人だったと、今では見える。

 最近わたしは「集団としての悪」ということを考えるようになった。一人ひとりは凡庸だが(断るまでもないが、「凡庸」という言葉はハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」の引用だ)、それらの人々が職務に忠実で、それなりの能力を発揮するとき、集団として悪を出現させてしまう事象だ。

 一人ひとりは「悪」に無自覚なので、悪が崩壊したときでも、自分に罪があるとは思わない。自分に罪があるなら、みんなもそうだ、と。アイヒマンがそうだったように、ポムゼルも然り。日本の場合も同様の人々は沢山いただろう。無自覚ゆえに、繰り返される可能性がある。今の日本はかなり危ない。

 本作はオーストリアの映画プロダクションの制作だが、自国では「負の歴史をあえて映画で振り返る必要はない」という批判的な評価が目立ったそうだ。もし同種の映画が日本で制作されたら、やはり「反日」と攻撃されるだろう。
(2018.7.10.岩波ホール)

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