Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ルイージ/N響

2022年12月05日 | 音楽
 ファビオ・ルイージ指揮N響の12月の定期Aプロは、さりげなく生まれた名演だ。曲目はワーグナーの「ヴェーゼンドンクの5つの詩」(メゾ・ソプラノ独唱は藤村実穂子)とブルックナーの交響曲第2番(初稿/1872年)。

 藤村実穂子の独唱で感銘を受けたのは、言葉と音楽が一体になっていることだ。ドイツ語のディクション、豊かな抑揚、そして囁くような小声からホールを満たす声まで、完璧にコントロールされている。その歌唱を聴いていると、歌というよりも、語りのようだ。マチルデ・ヴェーゼンドンクがそこにいて、一人語りをしているようだ。

 ルイージ指揮N響も繊細な演奏だった。細い音でけっして声を抑圧せず、歌にぴったりつけている。それはルイージがオペラ指揮者だからだろう。一朝一夕にできる技ではない。細かい点では、第3曲「温室で」(「トリスタンとイゾルデ」の第3幕との関連が指摘される曲だ)の最後の部分で木管楽器がアクセントをつける、その微妙さに息をのんだ。歌詞でいえば、「重いしずくが漂うのが見える/緑の葉の端に。」(プログラムに掲載された藤村実穂子の訳。ついでながらその訳は、自然な日本語とセンスの良さで、ひじょうに優れていると思う)のところだ。

 ブルックナーの交響曲第2番にも感銘を受けた。私はその演奏を聴きながら、2016年9月に聴いたパーヴォ・ヤルヴィ指揮N響の演奏(1877年稿/キャラガン版)をしきりに想い出した。一切のぜい肉をそぎ落とした引き締まった演奏だった。パーヴォが指揮したブルックナーの中でもとくに印象に残った演奏だ。その演奏とくらべると、ルイージ指揮のこの演奏は、もっと穏やかで、どっしりした、暖かい音色の演奏だった。中欧的な演奏といってもいいかもしれない。

 第1楽章の彫りの深い、細部までよく歌う演奏、そして第3楽章(当日の演奏は1872年稿だったので、第3楽章は緩除楽章だ)の最後の部分で、次第にテンポを落とし、ついには時間が止まってしまいそうになる演奏が、とくに印象的だった。第4楽章ではルイージらしい熱い演奏が繰り広げられた。

 去る10月に聴いたノット指揮東京交響楽団の演奏が、1877年稿/ノーヴァク版をベースにしながらも、適宜1872年稿を取り入れて、結果としてノット版を作っていたのにたいして、ルイージ指揮N響の演奏は1872年稿に忠実にしたがっていたようだ。そのためなのかどうなのか、第3楽章と第4楽章でのミサ曲第3番からの引用とか、第3楽章の最後のホルン・ソロとかが、きわめて自然な流れのように聴こえた。なお、そのホルン・ソロは見慣れない奏者が吹いていた。優秀な奏者のようだ。
(2022.12.4.NHKホール)

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