Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ケストナー「飛ぶ教室」

2019年02月03日 | 読書
 何年か前に友人とドイツを旅したことがある。ミュンヘンではダッハウ強制収容所跡を見学し、ボンではベートーヴェンの生家を見学した。またミュンスターでは友人の中学時代の同級生(同地で日本料理店を経営している)を訪れた。ベルリンでは演奏会やオペラに行った。

 こんな充実した(だが、今では、少々詰めこみ過ぎだったと反省している)旅だったが、そのとき友人が妹さんに頼まれて買ったお土産が、ケストナー(1899‐1974)の児童文学「飛ぶ教室」(1933年)だった。妹さんはなぜその本を?と尋ねるわたしに、友人は「ドイツではどんな装丁で出ているか、知りたいらしい」といった。

 ともかくその本は無事に見つかった。それで一件落着なのだが、そのとき以来わたしは、題名だけは知っていたその本が気になっていた。そして過日やっと手に取って読んでみた。翻訳が何種類も出ている作品なので、その気になればすぐ読めるのに、なぜ何年もぐずぐずしていたのかと、われながら呆れる。

 それは学校(ギムナジウム)の寄宿舎に住む5人の少年の物語。クリスマスの出しものに「飛ぶ教室」という創作劇(5人の少年のうちの一人が書いた)を上演しようとする。奇想天外なその劇の準備とともに、少年たちの日常が生きいきと描かれる。ときには胸が熱くなる出来事も一度ならずある。また大人のわたしが学ぶことも多い。わたしは心に残った言葉を書きぬきながら読んだ。

 そんな言葉の一つを紹介すると――、「すべて乱暴狼藉は、はたらいた者だけでなく、とめなかった者にも責任がある」(第7章。引用は池内紀訳の新潮文庫より)。この言葉は、級友の一人をいじめた生徒たちに向って、先生がいう言葉だが、同時に(ヒトラーが政権を掌握する時期に書かれた作品なので)もっと普遍的な含意があっただろう。

 ついでにもう一つあげると、「知恵のない勇気は暴れ者にすぎないし、勇気のない知恵はたわごとにとどまる! 世界の歴史には愚かな連中が恐いもの知らずで、知恵ある者たちが臆病である時代がくり返しめぐってきた。それはゆがんだ状態なのだ。」(第二の前書き。同)。

 誤解を招かないように、大急ぎで付け加えるが、上記のような直接的な言葉は、本作ではきわめて例外的なもので、作品全体は生きいきとした子どもの世界になっている。

 加えて、随所にドイツ人の慎み深い(相手との距離を測るような)感性がうかがえる。その感性が好ましい。

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