「本能寺の変」は戦国時代最大の見せ場。
もはや現代の日本人にとっては、かつての「忠臣蔵」のようなものであろう。
どう描かれ、どう演じられるか?
「功名が辻」の「本能寺」は信長の死と共に女性の視点が随所に盛り込まれていた。
1
まずは濃(和久井映見)と信長(舘ひろし)。
千代とのふれあいから、信長の妻として生きていく気持ちを固めた濃。
狂気にとらわれた信長の心をほぐすのは自分しかいないと思っている。
久々の膝枕。
濃は「昔の殿はよく笑われた」と言う。
昔の記憶。それが信長の心を解きほぐす手段だ。
そこへ知らされる光秀(坂東三津五郎)の謀反。
濃に逃げるように指示し、「あの世とやらでまみえようぞ」と告げる信長。
だが、濃は戻ってくる。
「あの世では殿は地獄で私は極楽。これでは死に別れでございます」
「抜かしたな」
歴史の真偽はともかく名セリフだ。
2
そして光秀と濃。
薙刀を振るって戦う濃は馬上の光秀と目が合う。
見つめ合うふたり。
信長への愛を強めることで、押し隠した光秀への想いが甦る。
しかし、次の瞬間、鉄砲の音と共に濃が撃たれる。
愕然とする光秀。
これも悲劇。
シェークスピアの歴史劇を見るよう。
3
そして光秀の娘・玉(長谷川京子)。
現在は細川家に嫁いでいるが、細川家は反光秀にまわる様子。
細川が背けば、諸侯はすべて反光秀になる。
味方するよう姑・幽斎と夫・忠興に説くが聞き入れてもらえない。
幽斎は忠興と玉は光秀についてもいいと言ったが、忠興の考えは変わらない。
玉に謹慎を命じる。
これも悲劇。
4
そして千代(仲間由紀恵)、寧々(浅野ゆう子)、市(大地真央)はこの事態に迅速に対応する。
市は岐阜城・清洲城の守りを堅め、領民を城に引き入れるように指示を出す。
六平太(香川照之)から報告を聞いていた千代は寧々の所に行き、避難することを主張する。長浜の領民を岐阜・清洲に逃がすように指示を出し、自らは伊吹山山中に身を隠す準備をする寧々。千代は領民を逃がすことに尽力するように言われた。
ここで描かれるのは、千代に象徴されるたくましさ。
女たちはたくましい。
既に気弱になって妻に励まされる光秀や副田甚兵衛(野口五郎)とは正反対。
寧々のもとに戻ってきた千代は「お腹がすきました」と言って、握り飯をほおばる。そして疲労からその場で寝入ってしまう。
千代はいつでも食べられどこでも寝られるたくましい女性なのだ。
(そう言えば、山崎へ向かう前、光秀は眠っていないという描写があった)
そのたくましさは寧々や秀吉の母(菅井きん)もそう。秀吉の強運と生還を信じている。
旭(松本明子)は、百姓から野菜を調達してきた。
堀尾吉晴の妻いと(三原じゅん子)は城の着物や宝物のことを気にしていた。
このように歴史の名場面に女性たちのドラマを織り込んで作られた今回の「本能寺」は見事。(前回の「光秀転落」は歴史をそのままなぞったドラマだったから、面白くなかった)
千代と濃、千代と玉の姿も対照的に描かれていていい。
だが、時代が大きく動き始めて、大根を洗う楽天的な千代の顔にもかげりが。
次回以降が楽しみだ。
★研究ポイント
物語の作り方:歴史事件に別の物語を織り込ませる。
シェークスピアのような悲劇を描けるのも大河ドラマならではの愉しみ。
現代ドラマの悲劇といえば、人の死ぐらいしかない。
★キャラクター研究:山内一豊(上川隆也)。
天下分け目の決戦。全員が功名を求める中、一豊だけが冷静。
謀反を起こした光秀の心中に想いを馳せる。
主人公は他の人間と同じリアクションをしないという好例。
これで一豊のキャラクターが立った。
やさしさが伝わった。
また千代とも心を通じ合わせている様子。
千代は夢の中で馬に乗って走ってくる一豊を見た。
一方、秀吉は毛利への密書を持った使者を捕まえた一豊を「運を運んでくる男」と認識したらしい。
こういうキャラクターの立たせ方もある。
★名セリフ
「痛いのう……このわしも死ぬのか」
撃たれた信長が濃に言う。
天魔・信長が人間に戻った瞬間。
★名場面
信長の死を知らされる秀吉(柄本明)。
涙を流す中、黒田官兵衛(斎藤洋介)が「天下を取る絶好の機会でございますぞ」と告げる。
このシーンも日本人なら誰もが知っている歴史上の名場面と言えるであろう。
秀吉が大泣きするのか、あっさりと演技で泣くのか?
さあ、どんな秀吉が描かれるのか?
今回はあっさり。しかも細川からの密書で鼻をかんだ。
「敵は本能寺にあり」と言う光秀。
炎の中で「夢まぼろしの如くなり」と言って命を絶つ信長。
泣き叫ぶ秀吉。
これらの名場面を演じる役者さんは役者冥利に尽きるだろう。
★追記
清水宗治の湖上での切腹。辞世の句を詠む。
「早くせんか」と急かす秀吉は俗物。
信長の死を知って大喜びする足利義昭(三谷幸喜)。
光秀に望む官位を与えると言う。
義昭は自分と時勢がわかっていない裸の王様。
★追記(公式HPより)
舘ひろし「信長が死を覚悟した瞬間というのは、きっと笑ったのではないか。”本能寺”撮影に入った瞬間思ったのはそのことでした」
★追記(公式HPより)
演出・尾崎充信インタビュー
光秀について
「光秀は“本能寺”以降、“ゆるやかな自殺”が始まっているという形になっています」
※ゆるやかな自殺という表現が面白い。
『是非もない』『しばし相手をしてつかわそう』と言って戦う信長について
「これは信長の意地のようなものだったと解釈しています。もう死ぬことがわかっていながら、なぜ表に出たのか。それは、死に様というか、自らの最期をどう見せるかということでしょうね」
※本能寺を銃撃戦にしたのは、革新者信長が弓矢を使うのはおかしいと思ったからなのだそうだ。また、大階段は舞台を意識したものらしい。
★追記(2006年6月14日 読売新聞より)
脚本の大石静さんは人生についてこう語っている。
「人は意に反して生まれ、意に反して死ぬ。この世に存在すること自体が苦しみなんです」
その思いを放送中のNHK大河ドラマ「功名が辻」で、坂東三津五郎演じる明智光秀に投影した。織田信長の妻・濃への淡くも断ちがたい恋慕の情に、人の世のままならなさをかみしめる人物として描いている。
そうだ。
また脚本家について
「不幸な目に遭うと、このことをいつか書こうと思いますね」。
脚本家は、転んでもただでは起きない。身を削って生んだドラマで、人々を引きつける。
また立ち直りの3カ条として
1.人のせいにしない。
2.自分だけと思わない。
3.何とかなると思う。
※生きる上でも重要なことですね。
もはや現代の日本人にとっては、かつての「忠臣蔵」のようなものであろう。
どう描かれ、どう演じられるか?
「功名が辻」の「本能寺」は信長の死と共に女性の視点が随所に盛り込まれていた。
1
まずは濃(和久井映見)と信長(舘ひろし)。
千代とのふれあいから、信長の妻として生きていく気持ちを固めた濃。
狂気にとらわれた信長の心をほぐすのは自分しかいないと思っている。
久々の膝枕。
濃は「昔の殿はよく笑われた」と言う。
昔の記憶。それが信長の心を解きほぐす手段だ。
そこへ知らされる光秀(坂東三津五郎)の謀反。
濃に逃げるように指示し、「あの世とやらでまみえようぞ」と告げる信長。
だが、濃は戻ってくる。
「あの世では殿は地獄で私は極楽。これでは死に別れでございます」
「抜かしたな」
歴史の真偽はともかく名セリフだ。
2
そして光秀と濃。
薙刀を振るって戦う濃は馬上の光秀と目が合う。
見つめ合うふたり。
信長への愛を強めることで、押し隠した光秀への想いが甦る。
しかし、次の瞬間、鉄砲の音と共に濃が撃たれる。
愕然とする光秀。
これも悲劇。
シェークスピアの歴史劇を見るよう。
3
そして光秀の娘・玉(長谷川京子)。
現在は細川家に嫁いでいるが、細川家は反光秀にまわる様子。
細川が背けば、諸侯はすべて反光秀になる。
味方するよう姑・幽斎と夫・忠興に説くが聞き入れてもらえない。
幽斎は忠興と玉は光秀についてもいいと言ったが、忠興の考えは変わらない。
玉に謹慎を命じる。
これも悲劇。
4
そして千代(仲間由紀恵)、寧々(浅野ゆう子)、市(大地真央)はこの事態に迅速に対応する。
市は岐阜城・清洲城の守りを堅め、領民を城に引き入れるように指示を出す。
六平太(香川照之)から報告を聞いていた千代は寧々の所に行き、避難することを主張する。長浜の領民を岐阜・清洲に逃がすように指示を出し、自らは伊吹山山中に身を隠す準備をする寧々。千代は領民を逃がすことに尽力するように言われた。
ここで描かれるのは、千代に象徴されるたくましさ。
女たちはたくましい。
既に気弱になって妻に励まされる光秀や副田甚兵衛(野口五郎)とは正反対。
寧々のもとに戻ってきた千代は「お腹がすきました」と言って、握り飯をほおばる。そして疲労からその場で寝入ってしまう。
千代はいつでも食べられどこでも寝られるたくましい女性なのだ。
(そう言えば、山崎へ向かう前、光秀は眠っていないという描写があった)
そのたくましさは寧々や秀吉の母(菅井きん)もそう。秀吉の強運と生還を信じている。
旭(松本明子)は、百姓から野菜を調達してきた。
堀尾吉晴の妻いと(三原じゅん子)は城の着物や宝物のことを気にしていた。
このように歴史の名場面に女性たちのドラマを織り込んで作られた今回の「本能寺」は見事。(前回の「光秀転落」は歴史をそのままなぞったドラマだったから、面白くなかった)
千代と濃、千代と玉の姿も対照的に描かれていていい。
だが、時代が大きく動き始めて、大根を洗う楽天的な千代の顔にもかげりが。
次回以降が楽しみだ。
★研究ポイント
物語の作り方:歴史事件に別の物語を織り込ませる。
シェークスピアのような悲劇を描けるのも大河ドラマならではの愉しみ。
現代ドラマの悲劇といえば、人の死ぐらいしかない。
★キャラクター研究:山内一豊(上川隆也)。
天下分け目の決戦。全員が功名を求める中、一豊だけが冷静。
謀反を起こした光秀の心中に想いを馳せる。
主人公は他の人間と同じリアクションをしないという好例。
これで一豊のキャラクターが立った。
やさしさが伝わった。
また千代とも心を通じ合わせている様子。
千代は夢の中で馬に乗って走ってくる一豊を見た。
一方、秀吉は毛利への密書を持った使者を捕まえた一豊を「運を運んでくる男」と認識したらしい。
こういうキャラクターの立たせ方もある。
★名セリフ
「痛いのう……このわしも死ぬのか」
撃たれた信長が濃に言う。
天魔・信長が人間に戻った瞬間。
★名場面
信長の死を知らされる秀吉(柄本明)。
涙を流す中、黒田官兵衛(斎藤洋介)が「天下を取る絶好の機会でございますぞ」と告げる。
このシーンも日本人なら誰もが知っている歴史上の名場面と言えるであろう。
秀吉が大泣きするのか、あっさりと演技で泣くのか?
さあ、どんな秀吉が描かれるのか?
今回はあっさり。しかも細川からの密書で鼻をかんだ。
「敵は本能寺にあり」と言う光秀。
炎の中で「夢まぼろしの如くなり」と言って命を絶つ信長。
泣き叫ぶ秀吉。
これらの名場面を演じる役者さんは役者冥利に尽きるだろう。
★追記
清水宗治の湖上での切腹。辞世の句を詠む。
「早くせんか」と急かす秀吉は俗物。
信長の死を知って大喜びする足利義昭(三谷幸喜)。
光秀に望む官位を与えると言う。
義昭は自分と時勢がわかっていない裸の王様。
★追記(公式HPより)
舘ひろし「信長が死を覚悟した瞬間というのは、きっと笑ったのではないか。”本能寺”撮影に入った瞬間思ったのはそのことでした」
★追記(公式HPより)
演出・尾崎充信インタビュー
光秀について
「光秀は“本能寺”以降、“ゆるやかな自殺”が始まっているという形になっています」
※ゆるやかな自殺という表現が面白い。
『是非もない』『しばし相手をしてつかわそう』と言って戦う信長について
「これは信長の意地のようなものだったと解釈しています。もう死ぬことがわかっていながら、なぜ表に出たのか。それは、死に様というか、自らの最期をどう見せるかということでしょうね」
※本能寺を銃撃戦にしたのは、革新者信長が弓矢を使うのはおかしいと思ったからなのだそうだ。また、大階段は舞台を意識したものらしい。
★追記(2006年6月14日 読売新聞より)
脚本の大石静さんは人生についてこう語っている。
「人は意に反して生まれ、意に反して死ぬ。この世に存在すること自体が苦しみなんです」
その思いを放送中のNHK大河ドラマ「功名が辻」で、坂東三津五郎演じる明智光秀に投影した。織田信長の妻・濃への淡くも断ちがたい恋慕の情に、人の世のままならなさをかみしめる人物として描いている。
そうだ。
また脚本家について
「不幸な目に遭うと、このことをいつか書こうと思いますね」。
脚本家は、転んでもただでは起きない。身を削って生んだドラマで、人々を引きつける。
また立ち直りの3カ条として
1.人のせいにしない。
2.自分だけと思わない。
3.何とかなると思う。
※生きる上でも重要なことですね。